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江戸和竿の経験 シーズン2 その3

焼印の是非

岩手県に出張した際に盛岡駅の名産品のお店で、南部鉄器と柳宗悦の文庫「茶と美 (講談社 2000年)」が並べてディスプレイされているのを目にした。印象が残り、帰京したのちにすぐ南部鉄器の鉄瓶、急須、柳の本を注文するに至る。
柳は「茶と美」において、総じて出版時(初版は1941だからそれよりも前の時期)の「茶の世界」に対してとても批判的、ときに切れ味鋭く、相手の面目をすっかりつぶしてしまうくらいの勢いで攻撃している。茶の世界の素晴らしさを解説するものだと予想していた私を完全に裏切った。同時に工芸品としての江戸和竿に対する私の見方の修正を迫るものだった。
この項を記述している2024年2月時点、東京都江東区中川番所資料館にて江戸和竿が展示されていたので、見学に訪れた。東作、汀石、竿かづなどのタナゴ竿をガラスケース越しに見ることができた。ひと昔前の親方によるタナゴ竿なのでいま人気があるデザインに比べて総じて長尺である。「三代目竿辰作」と説明のあるタナゴ竿があったので注意深くみると、どうも外観は竿辰っぽくない。どうしてそう思うかというとコスメティックな意匠に違和感があったのである。注文主の要望だったのか、しかし竿辰が好きな釣師だったら竿辰っぽい塗りを希望するんじゃないのか、と首を捻りながら、別の展示コーナに向かった。その後すぐ「ああ、そうだ焼印をみればいいんだ」と思い至り、引き返した。果たして、角度を変えてガラスケースの上から注意深く覗くと、竿にも竿ケースにも「竿かづ」の焼印がうっすら確認できた。意図的ではないことを祈るが焼印は表からは観にくい角度に配置されていた。いずれにしても今回は明確なエビデンスとして焼印があったが、焼印が無かったら、どの竿師による作かは言い切ることは難しいだろう。
ただ竿師だったら焼印に頼らず、全体的な外観と触ってみればよりいっそう、少なくとも優れた竿か、そうでもないか、わかるに違いない。三代目竿辰親方は、私が最初に通販中古で購入した竿辰竿を、焼印など見ずに「オヤジのですね」と断言した。それは鑑定士的な態度ではない。竿を私から受け取った瞬間に身体に染み込んでいる「竿辰とはこういう竿である」という感覚に合ったのだろう。私が竿かづの竿を竿辰ではないと気づいたのは、私が所有する竿辰竿十数本に共通する「素朴で地味な力強さ」を感じなかったからである。竿辰には売れる竿ではなく「良い竿を作る」「強い竿を作る」という健康な職人の哲学と伝統がある。派手な塗りをしない、象牙などのパーツを使わないことなど制作上の約束事にもそのフィロソフィーは表れている。しかしちょくちょく押上にお邪魔しているからこそ、また初級者にしては行き過ぎているくらい竿辰竿に投資をしたから、何となくわかるのであって、これが竿忠とか、東作系の竿師によるものだったら、真贋の判断は焼印に頼らざるを得ないだろう。
竿はどこまでも機能的なものであり、ただしく働くことで優れた釣竿である。したがってどんなに高価であってもどこかパーツが欠損している場合は、そのままでは釣竿としての価値はゼロということになる。
焼印あるいは銘の目的はそもそも何だろうか。竿師に比べ竿の品質に詳しくない釣師にとって焼印があると便利ということがある。もちろん流通業者にとってもメリットがある。素人にはそもそも良い竿と良くない竿の見分けが付かない。ここでいう素人には釣りをしない骨董品鑑定士も含む。焼印はまた品質保証の役割を果たす。竿師側の配慮で品質やランクによって焼印のデザインを変えたのは代表的には東作と竿治である。ある意味で親切であるといえるが、同時にのちのち竿師を鍛えることにもなる釣師の「見る力」を奪うことに繋がったともいえなくはないだろうか。なぜこの竿は高くて、こっちは安いのだ?と客から問い合わせを受けることが減り、近視眼的には商売的にとても効率的だっただろう。ここには利点と弊害がある気がする。
焼印があれば何よりも流通させやすくなるだろう。焼印があれば「売りやすい」ということにもなるだろう。「これはオレの作品だ」と徴(しるし)をつけたい気持ちが竿師にも働いたのは容易に想像ができる。それは逆にいうと、サインがないと誰にも自身の作品だと見わけがつかない怖れと、自己顕示欲の発露だと解釈することもできる。
汀石は語る。「釣音は輸出向けの問屋仕事を中心に釣竿を作りました。昔は問屋向けの所謂数ものの仕事は竿に銘を入れないのが普通でした。その点、竿の銘を大切にする註文竿を作ってだんだん名を上げて行った竿忠親子と違って、親ゆずりの数もの仕事を受けついだ竿稲親子が、同等の力量を持ちながら、仲間内の評価はともかく世間的には釣音ともども無名で終わったのはやむを得ません。(汀石竿談義 文治堂書店1975年)」
竿稲はブランディング、商業において成功せず、しかし竿そのものの良さでは決して負けていなかったといっているのだ。いつか汀石の本、汀石竿談義(1975年文治堂)についても少し詳しく触れてみたいと思うが、竿師本人による本の中では一番面白いと思う。(正確には汀石が直接筆を執ったのではなく、口頭でしゃべった内容を編集者が録音記録し、ドラフトを彼が確認、編集の指示をして最終化している)この書籍からは彼の気概というか誇りのようなものが伝わってくる。東作、竿忠、竿治、竿辰など「ある世代の」親方は間違いなく超一流の名人だったと私も認めよう。(ここで重要なのは初代が名人だったからといって二代目も自動的に名人だとは認めていないことである)しかしオレは彼らを越えていないかもしれないが、決して負けていない。正しく竿の良さというものを評価できる竿師が減ったことが問題なのだ、それがもどかしい、というメッセージが行間から伝わってくる。

柳の「茶の美」の話しに戻ろう。
柳は同著の小論の中で何度も何度も「銘の弊害」について繰り返し言及している。
「それ故選択の基準を「銘」に置くよう場合も間違いが起りやすい。陶器等の蒐集家によく見る所であるが、在銘のもののみを集める人がある。しかしその場合銘が価値で、物の美しさが価値ではなくなっている。(中略)しかしかかる判断は、全く物への認識が乏しく直感が欠けていることを証拠立てているに過ぎない。自ら選ぶ力がない故に、拠り所を銘に求めるのである。(中略)初代の茶人達は銘に頼って茶器を認めるような不見識なことはしていない。銘にかじりつくようになったのは見方が堕落した後代での出来事である。銘があるなしは二の次でよい。物をじかに見て選び出すのが本筋である。」『蒐集について』
「どんな大名物の茶碗を裏返しても銘はない。「井戸筒」、「喜左衛門」、「九重」、「小塩」、「須弥」、こんな勝手な名は茶人から拝領したので、作人とは縁がない。高麗のものはどんなに名器であろうと、一から十まで無銘である。(中略)どこからその美しさが湧いたのか。無銘ということが慥かに一つの大きな泉である。何もこの世のすべての無銘品がいいというわけではない。しかし大名物の一切が在銘でないということだけは熟知していていい。無銘と美しい器物とはそんなにも血縁が深い。」『高麗茶碗と大和茶碗』
「私がこのことをいい出すのは、工藝的なものは多く協同体の現れだといえるからである。少なくとも共同体的な仕事になる時、ものが必然に工藝性を帯びてくることを指摘できよう。近代では「分業」という言葉でこれを説くかも知れぬが、「業を分つ」というより「業を合せる」と見る方が至当である。最も美しい工藝品はこの合業からきている。工藝本来の性質がそのことを招くのである。その結果工藝的なるものは必然に非個人的な性質を帯びる。個人が支えるのではなく、多くの力が交わるからである。
 だから無銘である。一人の天才の所業ということができぬ。かかるものを作る者は多く、誰がどこでどう作ろうと、大方は同じ度の美しさに達し得たのである。だから光るものは非個人的な美しさである。(中略)
 ここで何もすべての個人的な作が醜いというのではない。しかしその美しさが深まれば非個人的なものに高まってゆく。その時絵が必然に工藝性を帯びてくる。非個人性と工藝性とには密接な関係がある。今の作家達はこの真理を見逃してはいないだろうか。『工藝的絵画』
「茶人達も学者達も、なぜもっと眼をいきいきと働かせないのであろうか。なぜ進んで「見る作家」にならないのであろうか。あまりにも因襲に縛られて、あがきがとれないのである。最も囚われているものに銘がある。今は銘に「茶」があると思われるほど、無上の信頼をこれに懸ける。だがこの銘こそはどんなに彼らの目を暗くしていることか。不思議にも彼らは銘を見て物を見ない。少なくとも銘で物を見る。銘がないと物が見えない。ここまで病いが喰い入っているのである。物を見届ける力があるなら、銘の有無などどうでもよくはないか。見るのに銘などなくとも一向に刺支えはない。銘はむしろ色眼鏡を与える。銘で物を見る人が、見誤るのはそのためだと思われる。」『茶器』

すこしシリアスな論調になってしまったが、江戸和竿の焼印については肩の力を抜いて、リラックスできるよいテキストがある。葛島一美の「続・平成の竹竿職人 焼き印の顔(2007年つり人社)」である。気軽にカタログ的に、資料的にパラパラと眺めるのに適した内容で、これはこれで楽しい。

駅前の本屋で「つり人」の4月号を立ち読みしていて関釣具店の店主関誠氏が亡くなられたというニュースを目にした。関氏は江戸和竿のすばらしさを各媒体で発信しており、同氏の江戸和竿による四季の釣りの解説動画は何度となく視聴したことがある。江戸和竿の大切な発信者が減ってしまったことは誠に残念である。また店舗として江戸和竿の購入できる物理的な場所がまたひとつ失われたインパクトは大きい。


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