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江戸和竿の経験 シーズン2 その6

青鱚竿で鯉を釣る

「継竿と1本竿どちらが良いのか?」という質問をある親方に訊いたことがあった。「竿は本来1本の方が良い」といわれ少し驚いたことを覚えている。素材として竹1本そのままの方が強いという説明だったと思う。継ぎ竿はコンパクトに運搬できるようになるというメリット以外に、穂先の素材をセミクジラとか布袋に代えて、アタリをとれるようにするというように機能的な目的もある。その時はあまり竿の強度について考えを巡らすことはできなかった。

潮見三郎による「竿師一代(1996年つり人社)」という作品がある。これは三代目竿治の生涯を扱った取材に基づいた小説という体裁のものである。その中に「竿忠の海津竿」という章がある。竿治のパトロンになることになる遊郭の主人(いわゆる旦那衆)が自身の竿忠の海津竿を鯉用に作り直してほしいというリクエストを持ち込み、最初は竿忠への竿師としての敬意とおそらく品質の高さから仕事を断るが、結局「修理」という名目で仕事を受けることになる。
私は誤って海津ではなく青鱚用の竿を鯉竿用に改良したと記憶していた。

春になり、いつもヤマベを釣っているところを散策すると鯉がたくさん泳いでいた。60センチを超えるような魚の中に、30センチくらいの小ぶりな若鯉も確認できた。あのくらいのサイズであれば青鱚竿で狙えば面白いのではないかと思い、準備をした上でこどもとそのポイントに出向いた。用意したのは銘のないしっかりしたつくりの青鱚竿である。
青鱚竿は江戸和竿としてデザイン上のルールがある。竿尻の袴を抜いて、下から穂先などを収納できるようになっている。通常継竿は上からストンと落とすように仕舞うのが作法だが、この「下から収納構造」は青鱚独特である。
釣りの方法は食パンを針に着けるだけ。まずは食パンで周囲の鯉を集め、警戒心を小さくし、鯉たちが我も我もと食欲が勝り、先を争ってパンを食べ始めると、もうこれは釣れること間違いなしである。釣りの方法としては魅力的ではなくあまり「江戸っぽくない」。何しろいかにも洋食である「食パン」を使うのだから。
すぐ釣れるかと思いきや、竿が長くて影を落としていたのか、なかなか鯉は餌に食いつかなかった。こどもに釣らせようとしたが、飽きてしまったのと竿が重いのとで、しばらく私が釣りを担当することになった。
するとやがて食パンは水面から消えたのだが、食いついたのは運悪く2尺を軽く超えるような太ったブルドーザーのような鯉だった。こどもに「掛かったよ」と声を掛ける。こどもが来るまで鯉をいなしながらカーボンあるいはグラスでの鯉のやりとりよりは楽だと感じた。それは竹という素材が鯉の動きを制御するためなのか、理由はわからない。ただ感覚的にこの鯉は取り込めると直感的に思ったのだ。竿をこどもに持たせる。しかしおそらく私のタモ捌きが下手だったせいで、コイは手前で最後の力を振り絞って逃走を試みその際、竿が折れてしまった。竿は継いだところできれいに折れていた。ちょうと差し込む部分と差し込まれる部分が折れていた。穂先の布袋部分は根本以外は曲がりも出ず、しゃんとしていた。
呆然とする親子だったが、そのあとで「竿は本来1本の方が良い」といわれたことを思い出した。
青鱚ではなくもう少し強い海津竿を使っていたら折れていなかったとかそういう問題ではない。たぶん魚とのやりとりでミスがあったのだ。継竿の強度と構造上の弱点を考えるよいレッスンになったと自分を慰めて帰途についた。


こちらは布袋の穂先の根本部分

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