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江戸和竿の経験 その8

SDGsと江戸和竿
アウトドアメーカー、パタゴニアがThe complete fishermanという動画をリリースしている。日本のテンカラそっくり、というかテンカラそのもののような釣りをするイタリアの老釣師を紹介している。竿の素材は竹なのかヘーゼルナッツなのかわからないが1ピースである。自分で竿を作り、糸は複数本の馬の毛をより合わせて作る。毛ばりも当然鳥の毛で作る。パタゴニアという会社はアウトドアを愛するがゆえに、環境に特別にやさしい企業を目指し、消費者にも自然にダメージを与えない生活を送ることを求めている。またそのような人生を個人的にも目指しているパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードは、尊敬と羨望のまなざしでその老釣師を見つめる。釣り道具は自分ですべて調達して楽しむという点では三遊亭金馬も「完全な釣人」であったといえるだろう。「裏の竹藪から自分で好みの竹を切り、木綿糸をつけ、針金を曲げ、焼きを入れて釣針をつくり、桐のゲタをつぶしてウキをつくり、ごみための下から餌のミミズを掘り出し、それで魚が一ぴきでも釣れたらどんなに楽しみであろうか。それが本来、魚釣の極致ではないかと思う」(「江戸前つり師」1962年徳間書店)
私がコンプリートフィッシャーマンにはなれないのはほぼ確定しているが、「即日」物が届くというような価値観、消費を早く促し、なるべく多くリピートさせるような企業のサービスを利用することに対して多少罪悪感があり、抜け出せるものならこのサイクルから抜け出したいと思っている。スケール(ビジネスを何倍、何十倍、何百倍にも拡大させる)するのが正義だとするシリコンバレー風の発想には食傷気味で、それらの価値観というか成功者にあこがれていた自分に対しても今はとても醒めた目で振り返る今日この頃である。イノベーションも良いが、規模は追わずに独自の技術をもち、サービスの品質を落とさない優れた組織体が若者たちのあこがれの働く場所になるだろう。世の中をみるとNaturalやOrganicというキーワードがマーケティング的に使われており、それらは価格や時間短縮などと肩を並べるような購買要因になっている。消費者はその背景にある物語を知りたがる。物語の一部になりたいのだ。6代目東作が嘆いているような「技術の継承」の観点では確かにとてもチャレンジングな問題があるだろう。しかしこのようなものを秀でて、価値を認める人たちが出てきている。追い風はすでに吹いているような気がするのは気のせいだろうか。その風は私の少ない頭髪をかすかに揺らしている。

竿辰のヤマメ竿 太さの目安に


江戸和竿に触ってみよう 
本当はもっと個人的な経験を記述するつもりだったが、竿師たちが個人的に話してくれた内容を共有していいものかどうかわからず、関連の書籍をサマライズするようなつまらないことをしてしまった気がする。私はFenwick、Browning、ABU、Michell、Hardy、Orvis、Heddonなど1960年代から1980年代くらいまでに製造されたルアー、フライタックルでの釣りを楽しんできた。それは私が幼い子供だった頃に欲しかった憧れのブランドでもあり、社会人となり、多少自由に使える小銭があったので、反動としてチャンスがあった際に中古で買い求めてしまったのである。中にはデッドストックといって使用された形跡のないものもあった。価格というのは、「モノの本質的な価値」とイコールではない。プライスは、需要がなければ、購入者が少ないので、供給が少なかったとしても価格は上がらないだろう。それにしてもオークションで取引されている江戸和竿は安すぎる。私の家がもう少し広かったらすべて買い占めたいと思うくらい安い。先に述べたように入口はネットでも何でもいいと思うが、まずは現物を見ることをお勧めする。背景知識もある程度あった方がこの世界を楽しめるが、江戸和竿そのものの魅力は何よりも触ってみることである。そして実際に使ってみることだ。


東吉の鮎竿 運動会で用いるバトンのような太さ
竿辰のタナゴ竿 

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