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江戸和竿の経験 シーズン2 その11

 
先日見つけたスゴモロコポイントで数釣りを楽しみたく手返しが良さそうな竿として竿辰の10尺タナゴ竿を連れていく。この竿は2代目竿辰によるものである。最近のタナゴ竿は短くて1メートルに満たないものが多いが、それは釣場環境の変化によるもので、ごく小さな流れの土手にヨッコイショと座ってのんびりとほとんど真下を釣るようなスタイルには短尺が良いということだろう。私も3代目竿辰のタナゴ竿は持っている。本当にコンパクトでありお忍び釣りスタイルという感じ。あまりにも目立たないから奥さんや家族がまさかその「鉛筆セット」「文房具箱」みたいなものが10万円前後、ものによっては20万円を超えるものだということを知ったらそれは驚くのではないか。私の家族も例外ではない。せいぜい2万か3万くらいのものだろうくらいに思っているフシがある。世の中には知らない方が幸せな事もたくさんある。
さて今回の相棒のタナゴ竿は10尺という長さである。戦前、あるいは高度経済成長期より前の時代、タナゴはいろんなところに棲息していて、ちょっと大きめの河川でも釣れたために、長いタナゴ竿の需要があったのだ。10尺だからしっかりと太さがある。この竿は明らかに誂えられたもので桐の箱に入っていたものを運よく入手した。使われた形跡はなかった。
当然人にもよるが、ある程度柔らかい竿の方が魚の引きを「おっとっと」と楽しめるという考え方もあると思う。ただしあまりにも胴調子だと合わせが効かない。多少先調子でパリッとした硬さの方が合わせは効く。その点、竿辰のタナゴ竿はスゴモロコにピッタリではないかという仮説が私にはあったのだ。案の定、入れ掛かりだった。浮がすっと沈み、竿を立てるとくっと魚は掛かる。どんどん釣れる。どんどん釣れる。エンドレスである。普段10匹から20匹で大満足の私には大漁であった。しかし私は漁師ではない。数を釣ると釣りの楽しさというものではなく、数そのものが目標になる。その対象となる魚へのアプローチ、魚が反応するプレゼンテーションを探す事が大事であり、この方法でやれば釣れるとわかってしまうとその時点で楽しさは半減する。でも私はまた同じ場所に行くことになるだろう。現金なものである。釣師の心理は複雑なのだ。
 
数日後押上にて親方に報告する。「そうですか、オヤジの竿は穂先も曲がりなんて出ないでしょう。重いですけどね」
押上には2代目竿辰による青鱚の竿がある。初代の竿は残っていますか?と訊くと、震災の時に燃えてしまったから初代の竿はないという。ああそうだった。いつか押上の周辺は街ごと燃えてしまったという話を親方から聞いたことがあった。竿はよく燃えるという。
 
仕事の合間に時間が空き、日本民藝館に行く。ちょうど「柳宗悦と朝鮮民族美術館」展覧会開催中だった。3度か4度目の日本民藝館訪問である。これは何だろう、どんな目的で作られたのだろうかと俄かにはわからないものがある。民芸なだけに、「使われる」「使われた」ものであるはずである。民芸品が民芸品であるためには生活に密着している必要がある。使われてこそである。「水滴」なる小さな陶器がたくさん展示されている。これらは墨を溶かすためのスポイトのような目的でポタポタと水を落とすために作られていたらしい。いまはそもそも筆で文章を書くこともなく、墨で書くことは尚更少なくなっているから説明されないとわからない。ちょっと変わったもの、通常のものとは異質なものを作ろうとする行為は創造的で望ましい行為ではある。しかし民芸という観点ではそれが「生活」「日常」と密着している場合、その地域の文化を表現している場合に、良さが滲み出てくると考える。「個人的な天才ではない」機能と装飾のバランスが大事であり、そこに美しさの秘密がある。
釣竿も使ってみないとわからない構造がある。中通し竿は使ってみることで、初めてこの構造を開発しようとしたアイデアが優れていると分かる。素材も布袋とか鯨とか、まずはファンクションとしての選択理由があるべきである。見た目が良いとか、高価そう、というのはあくまでも副次的な要素である。
だから江戸和竿もコレクターはともかく、日常的に使う釣師がいなくなってしまうと伝統として廃れてしまうだろう。

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