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江戸和竿の経験 シーズン2 その5

根津にてヤマベ竿を購入した。
見せてもらった際に、収納する際に少し摩擦を感じるところがあり、ストンと入らないので気持ち悪く、それを親方に伝えると、「すぐ直せる」といわれた。持ち合わせがなく、2か月くらいあとに引き取りに行くと、その私が伝えた部分はすっかり調整してあった。口栓がキツイような気がしたが、それはどちらかというと私の手が乾燥して「潤い」が足りないかららしかった。すると「これでやってごらん」とゴムの板のようなものを渡された。もっていっていいよ、といわれる。ゴム板の正体は自転車のタイヤのチューブだった。それでグリップが効き、確かにスムーズに口栓を外すことができた。
少し世間話をする。竿師の販路について。自分のお店を持たない竿師は特定の釣具屋に卸している。余計なお世話かもしれないが販売チャンネルというものはとても大事だと思う。お店を経由せずして、直接注文するような顧客がいない場合、生計はどうなるのか。
2月銀座で「銀座松屋名匠市」という催しがあった。今年は行く時間がなかったが、昨年お邪魔した際は、正直品揃えが少なすぎると感じたとお伝えした。その際は何等かの連絡ミスがあったような話だったが、若手の竿師はお店をもっていないこともあり、そもそも出品するための竿の在庫がないのだという。そうなるとお店を持つ竿師が展示用に竿を提供することになる。
ヤマベ竿で春になったらたくさん釣って写真を持ってきますよ、と約束をして店を後にする。前回も同じ約束した気がするが、竿富親方はニヤリと微笑んでいた。

竿辰のシャモジ
最近竿辰の海用の竿を入手した。二代目竿辰によるおそらく海津用の竿だと思われる。海津とは若いクロダイのことである。クロダイを釣ったことがある人はわかると思うがものすごい突っ込みをする力強い魚である。糸巻のリールがありさえすれば、基本オープンな、障害物がないところで釣りをするために、走らせては糸を回収するという行為を繰り返していけば、いずれ魚は疲れる。リール竿が登場する前は海の竿は青鱚も、鯔も、海津もリールに頼らない竹の素材の良さと優れた構造的なデザインで強さを出す必要があった。現代は何でもリールを使うのが当たり前になっているために、引きの強い魚を延べ竿で狙うというとちょっと難易度は上がり、ゲーム性も増すのではないか。そしてそのときリールの存在意義や役割についても考えさせられる。いずれにしてはっきりといえるのは、リールが糸をストックして、魚が強引に引っ張っていった際には糸をリリースして送り出し、竿への負荷を軽減することができたために、作りをだいぶ軽いものにすることができたのだ。
「二代目竿辰は海竿、殊に青ギス竿の評判が高かったようです」と汀石は述べている。(汀石竿談義 1975年文治堂書店)青鱚と鯔の竿には食わせ竿と掛け竿(あるいは錨竿)というものが存在した。鯔竿は原則対竿であり、両手で2本の竿を同時に操作し、どちらかの竿に魚が掛かったら、もう一方の竿を放り出し、やりとりするのだ。それなりに長さがあるので、竿が折れることを防ぐために鯔をごぼう抜きにして、同時に脇から竿を引き落とし、魚はゴム長(おそらく魚市場の人が使うような)の胸か腹で魚を受けた、というような話しを三代目竿辰の親方から聞いたことがある。
私の中では竿辰というとフナ竿のイメージが強い。しかし「魚では折られない」という哲学を三代目は受け継いでおり、それは海竿で定評のあった父上である二代目からというから余計に海竿に興味が湧く。
息子と足場の高いところで釣りをする際に、ウキにあたりがでるとサイズ問わずすぐに抜き上げてしまうので、竿へのダメージが気になってしまい、似たようなスタイルの釣りを想定する竿を入手すればいいのだと思い至った。即合わせで抜き上げるのは青鱚の脚立釣りとそっくりではないか。それはおそらく言い訳であり、本心は海竿の中でも必ず「1本仕舞」という独特の作りの青鱚竿が単にほしかったのだ。
海の竿は淡水の継竿のように本数を多くすることはできない。したがって仕舞は長くなる。あとは何よりも肘当となる「しゃもじ」がついている。


裏側からの外観
シャモジは外すことができる


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