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江戸和竿の経験 その4

江戸和竿の「江戸らしさ」
竹を素材とする竿は東京以外でも作られており、それぞれ歴史を持っているだろう。郡上竿、庄内竿、加賀竿など各地に存在したと聞いているが、それぞれの盛衰はお恥ずかしながら江戸和竿ほどには把握していない。江戸和竿が特徴的なのは、竿師が大事にしている哲学と贔屓筋とのやりとりによって育まれた「スタイル」が残っていることではないか。もう一点、江戸和竿としていままで生きながらえているのは、高品質であることは当然だが、「ブランド化」に成功したことが大きいのではないか。やはり人は具体的な「名前」があると伝えたくなる。「私の竿は東作だ」「俺も東作の竿がほしい」特に素人には、並の竿と高級竿の区別がつかない。東作とか竿忠などの焼印があれば、それは品質を担保することになったのだ。また4代目東作が弟子を驚くほど多くもち、またその孫弟子たちの活躍もあり、品質の高い和竿の供給網が広まったのではないか。島田一郎「汀石竿談義(1975年文治堂書店)」、六代目東作こと松本三郎「竹、節ありて強し(2000年小学館)」を参照した結果、そういう認識になった。
さて少し古い書籍をいくつか渉猟してみて気づいたことがある。それらのどこにも「和竿」はもちろん「江戸和竿」というキーワードは出てこないのだ。もともと釣竿は竹を使うのが当たり前すぎて、竿にわざわざ形容詞や修飾語を必要としなかったのだ。そもそも竿という漢字には「竹かんむり」が載っているではないか。グラス素材が登場したときに、竿師たちは初めて化学素材に対しての天然材料としての竹を意識したのではないか。その時に「和」という接頭語を付けたのだ。と思っていたが先に参照した前出六代目東作こと松本三郎「竹、節ありて強し」によると西洋竿としての鱒竿作り始めたことがきっかけだという。「西洋」に対して「日本」の竿を意識して和竿と呼んだという。したがって和竿という名称は比較的新しく、遡ること昭和である。が、その後で、東京近郊で和竿作りを生業とする竿師たち、そのユーザーたち、ある意味パトロンたちが自分たちの伝統をブランド化して守らないといけないという危機意識をもち、東京和竿睦会、江戸和竿組合なるものを作ったのではないか、と推察する。そこから「江戸和竿」という言葉が登場したので、この名称自体はそこまで古くない。1991年に伝統工芸品の指定を受けている。
戦前、江戸和竿を購入するユーザーはどんな人たちだったのか。書籍類からイメージされるユーザー層は、懐が相当温かい人たちである。政治家や芸能に関わる人たち、お店の店主としての本業を持ちながら、その合間の余暇として、釣りを楽しんでいる旦那衆。小さい道具立ては配偶者、家族、仕事仲間たちにバレずに釣りに行くことを可能にする。仕舞寸法が小さいのだ。しかし海用の道具立ては長尺のものが多い。これらは家人にバレずに持ち運ぶことはできないだろう。どうしていたかというと誰かに「預けて」いたのである。おそらく。とくにタナゴ釣りの道具は筆箱のような大きさであり、スーツの内ポケットに入るくらいコンパクトなものもある。ただそれら社会的身分の高い人がどこまで主要な顧客だったのかどうかはわからない。書籍を紐解くと総理大臣とか歌舞伎の団十郎とかのエピソードが出てくるのでどうしてもバイアスがかかる。戦前には資産家の釣師もいただろうし、今ももしかしたらいるかもしれない。しかしいまの江戸和竿ユーザーはすくなくともごくごく平均的な収入の人々ではないか。ただ「傾向」がありそうなのは、ユーザーが「白髪頭」あるいは「頭髪少なめ」であることであり、そこは江戸和竿の未来を考えると私が少し心配になるポイントである。ひとつの仮説は、年齢的に落ち着くと、釣りのプロセス(準備から釣りの後始末)を「味わい深い」ものにしたいという欲求は出てくるので、そうなると楽しい釣りの選択肢として、江戸和竿に辿り着くのではないかというものだ。もしそうだとすると、私は江戸和竿の魅力に気づいたぞと秘かに自分の慧眼を誇っているが、実は大勢のデモグラフィックのひとりに過ぎないということになる。私が年齢的にそのステージに来たというだけなのだ。
現代のユーザーは江戸和竿だからというよりは、好きな竿師がいるからその竿師のリピーターになっている場合もあると思う。私がときおり出入りしているお店、東作、竿辰、竿富で直接見聞きした感じでは、顧客はタクシーの運転手や会社員など、市井の人々である。竿師と仲良くなり、その具体的な来歴、伝統やストーリーを聞くと、どうしてもその竿師の竿が欲しくなるのは心情として自然ではないか。
ひと昔前のユーザーの話しに戻ろう。「世間的には強いが家では相対的に立場が弱い」旦那がコソコソしているスタイルが、私の偏見が多分にあるものの、江戸の街の中の釣りの特徴のひとつだとすると、渓流、清流、鮎など「長尺」の竿を用いる釣りは街の江戸前釣りらしくない、あるいは系統がちょっと違うと感じる。竿の仕舞が長すぎて、「ちょっとそこまで」といって、家族には内緒で釣りにいくことは不可能だろう。渓流や清流用の江戸和竿は、戦前戦後あたりに、先行的に他のスタイルが確立していた分野において、江戸和竿の技術を応用してみたらこうなった、という印象を受ける。ただ釣師からの要望に対して自分たちの蓄積された技術により柔軟に対応できる懐の深さも江戸和竿は持っているといえるのではないか。

塗るにしてもこのくらいがちょうど良い
漆も含め経年変化を楽しめるのも江戸和竿ならでは

またコスメティックな塗りの丁寧さには敬服するしかないものもある。ただ、華美に走る塗りは私の好みではないということが最近わかった。

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