完成しない百科事典
ゲストハウスは百科事典だと思う。
普段の暮らしでは出会えないような「あ」から「ん」まで、さまざまな価値観の人に出会える。年歴や職業だけでなく、国籍も違うことを思えば「A」から「Z」までと言ったほうが正しいかもしれない。
誰かの価値観に触れて、今までなかった価値観が自分の中で増え、普段の暮らしがちょっと豊かになる。「あの人ならこういう時、どうするんだろう」と、ふと思い浮かべる顔が多くなる。そして「そうだ、私もこうやってみようかな」と一歩進むための選択肢が広がる。
それが、私にとって、ゲストハウスがある旅の魅力だ。
2010年のクリスマス、初めて日本でゲストハウスに泊まった。当時の私は、都心の広告会社と一人暮らしの家との往復生活。コミュニティや価値観が狭まり、固定概念の柵を知らず知らずのうちにつくり、その中をぐるぐる回っていた。そんな時に出会ったのが、ゲストハウスという百科事典だった。
ゲストハウスでさまざまな旅人や宿主に出会った。旅をするほど、世界が広く世間が狭くなっていく感覚が楽しくて、休日を使って日本各地のゲストハウスを旅するようになった。
いつか自分も百科事典のある空間をつくりたい。そう思い、将来に向けた備忘録としてブログを始めた。自分の足跡をあちこちに残すぞと息込み、足跡の英単語を文字り「FootPrints(フットプリンツ)」とブログ名を付けた。
好きという気持ちを原動力に等身大の体験談を綴って発信することで、私もまた誰かの日常の百科事典の一つになっているのかもしれない。そんな気付きから、数年後、日本各地のゲストハウスを200軒以上めぐるフリーランスのライター・編集者として活動することになった。
今の道に進む間際、当時の会社で“求められる方向性”と、ゲストハウスとの出会いから気付かされた“進みたい方向性”とのズレに苦しんだ。そのうち日常の波に溺れるように「何がしたいか」を見失い、途方に暮れた。
そこで救ってくれたのは、ゲストハウスが繋いでくれた友人だった。
彼女は、地元・和歌山での高校時代からの友人。ゲストハウスでの旅が共通の趣味となり、大人になってからグッと仲良くなった。広告会社での仕事を続けるべきか悩み、彼女の移住先である北海道を訪ねた。
初日、以前からお世話になっていた札幌の「TIME PEACE APARTMENT」に一緒に泊まった。宿主の仁さんが相談に乗ってくれて気持ちが軽くなり、友人が持ち込んでくれたおすすめのチーズケーキをラウンジの皆で輪になって食べた。
翌日は、二人で「札幌ゲストハウスやすべえ&河合珈琲」に泊まった。宿主のやすべえさんが淹れてくれる焙煎仕立てのオリジナル珈琲が美味しくて、珈琲片手に、カウンターにいた初対面のゲストさんとの会話が弾んだ。
最終日、一面の雪の中でポツンと赤い屋根が映える富良野の「ゴリョウゲストハウス」にも泊まりに行った。澤井さんご夫婦が営む宿で、併設したカフェでいただいたご飯が、忙しい日常で疲れ切った心と体に染み渡った。
友人は犬ぞりにも連れて行ってくれた。雪の中を楽しそうに駆け回る犬たちに先導され、爽やかな風が頬を滑って、気持ちがどんどん晴れて行った。
最後に、陽が差す雪景色を丘の上から見せてもらい、「何がしたいかはまだわからないけど、私はやっぱりゲストハウスが繋いでくれた出会いが好きだ。それだけは忘れちゃいけない」と確信し、会社を辞める決意をした。
たくさんの人たちのおかげで、綴ったブログはサイトになり、サイトは一冊の赤い本になった。これはゲストハウスという百科事典がくれた足跡だ。
出会うほどに価値観は増え、暮らしの選択肢は広がる。
どこまでいっても百科事典は完成しない。
だから、旅は終わらない。
ゲストハウス情報マガジンFootPrints /ゲストハウスガイド100
前田有佳利(だり)
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