見出し画像

041 #100日後にムスリムになる僕

尊重は、する。

左翼思想で洗脳された世代から教育を受けた僕たちの世代。
いくつになっても左翼脳のままで生きていけるし、いつからか右翼脳になってしまっても生きていける国、日本。

良くも悪くも、TBSの筑紫哲也の番組で「割と融通がきく左翼」としての影響を受けていた僕は、今現在、右翼主義的な思考であっても、まあ、「許容量の大きい社会こそ成熟した社会」を目指したり、心がけたりしながら生きているわけです。

例えば、僕は「天皇陛下は日本に絶対に必要であるし、我々日本人の誇りである」と思っているけれども、左翼の友人たちが「天皇制、玉砕せよ!」と声をあげていても、「まあ、まあ」とその思想に対しては、尊重は、する。

先日、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)を「幼児性愛者の屑」と評したツイートが流れてきました。もちろん、大炎上でした。

どんな宗教であれ、どんな人物であれ、どんな時代であれ、そういう風に思うのは「自由」だと思うのですね。

ただね、それを言われた人間、この場合はムスリムですけれども、どういう気持ちになるのかを考えたのでしょうか?

預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)が当時9歳であったアイーシャを妻として娶り、当時の年齢で性交渉を行なっていたであろうことは、事実だと思います。

約1400年前の人物のそのことに対して怒りを覚えるのは自由。
1400年前だろうと現在だろうと、文化は違えど、身体の仕組みはほぼ一緒でしょうから、「ひどい!幼児性愛者!」と思うのも当然かもしれませんし、それも自由。

とはいえ、世界の19億人が信仰するイスラームの創始者である人間を「屑」呼ばわりするのは、あまりにも常識がないし、配慮にかける。

日本ではなかなかないけれども、信仰のために「人を殺める」ことを厭わないことが正義になる世界が、確実にある。

そういう「マジ」な人たちが信仰する宗教の創始者であることを認識した上での発言(ツイート)だと思うのですが、では、なぜ、それをわざわざ「公然」に晒す必要があるのか?そこが理解できない。

例えば、9歳の女の子が性的虐待をされた事件が報道されて、犯人がムスリムで、その主張が「イスラーム法では合法だ!」と言っているのであれば、それに対して発言ならば、まだ、わかる。
けれども、その文脈が「あなたの価値観」に「その宗教の価値観」がそぐわないからと理由であれば、それはもう、ダメですよ、ダメ。

預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)はもう個人ではなくて象徴になっているので、個人攻撃では済まされない。

自分の価値観は自分で決めるものだから好きにしたらいい。
とはいえ「刃を向けられたら、理由を聞かずに、やりますよ?」というのは正当防衛ですし、常識の範疇。
なので、お互い刃を向けないように生きていくしかないと思うのですが、いかがでしょうか?

ヘッダーはインドネシアの3ピースバンド「Voice of Baceprot」。彼女たちはムスリマ。友人のインドネシア系ムスリムに紹介すると彼らは眉をしかめがち。

とはいえ、僕は彼女たちのスタンスを支持するし、眉をしかめる友人たちの意見も尊重。

「音楽は自由だ」なんてのは陳腐な解説。思想はいつだって自由だ。人間は自由。好きなことを好きなようにやればいい。許されないのであれば許される中で。許さなくても、やる、でしょ?好きなら?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?