037 #100日後にムスリムになる僕
クルアーンの手にとりづらさ。ややこしさ。
「僕はムスリムになろうと思う少し前から、『クルアーン』を読んでみようと思い立ち、読み始めていました」
上の発言の目の当たりにして、ムスリムが思うことはひとつ。
「この人、アラビア語、読めるんだ!」だったりします。
キリスト教ではどんな言語で書かれていて「聖書」ですが、イスラームにおいて「クルアーン」とはアラビア語で書かれたもの「のみ」を指します。
ここをご存知ない人もいらっしゃると思いますが、とても大事なポイントなのですね。
なので僕は上記の発言をするときはこういう風にいいます。
「僕はムスリムになろうと思う少し前から、『クルアーンの日本語解説書』を読んでみようと思い立ち、読み始めていました」
この「日本語解説書」とは「翻訳版」を指しています。
なかなかわかりづらいですよねー!
これ、アラビア言語圏以外のムスリムはどうしているかというと、単語の意味はわからないけれども、アラビア文字を「音読」できる人は多いみたいで、音読することで意味は完全に理解できなくても「読んで」いるようです。
ここは「音」を聞くだけの「般若心経」みたいな感じだと思うのですが、僕を含めて日本人(日本語文化圏人)というのは「漢字」を理解することができるので「イッサイクーヤク」とサンスクリット系の言葉を聞いて、ピンとこなくても、漢字で「一切苦厄」と見れば、「すべての苦しみとか災害」とかわかったりします。けれども、アラビア語の「音」はわかっても、アラビア文字を「音声」にすることはできない。これだと読んだことにならないと思いがちです。けれども、意味はわからなくても、音に出して発声するこも「読んだ」ことになるので、アッラーは寛大なお方なのです。
(般若心経も「唱える」だけでご利益があるのでそういう意味では同じだと思います)
では、意味がわからないだけでも「本当にいいのか?」という問いが僕にはあるのですが、答えは「いい」けれども「それではちょっと」という人が多いのも事実です。
多国語のクルアーンのあり方
友人のインドネシア系ムスリムに聞いて見ました。
「アラビア語はしゃべれるの?」
その友人は「会話」はできないけれども、クルアーンに書かれたアラビア語はわかるとのことでした。彼はインドネシアで「クルアーン」の勉強をするアラビア語の科目を選んでいたのでできるとのこと。
他の人はどうか?ときくと、クルアーンに書かれているアラビア語の意味はわからない人は多いらしいけれども、音読だけはだいたいできると。なので、みんな、毎日勉強していると。
じゃあ、どうやってクルアーンの勉強をするのかときくと、インドネシア語のクルアーンを使うと。
「え?」となるわけです。それ、クルアーンなの?と。
クルアーンはアラビア語で書かれたものがクルアーンです。それだけが「クルアーン」だと思っていたのですが、アラビア語のクルアーンに「インドネシア語の翻訳」がついていても、クルアーンになるらしいです!
なのでインドネシア語の翻訳版に「クルアーン」の画像が読める程度に付いているのも、立派な?クルアーンであると。
今回のnoteのヘッダーになっているクルアーンはアラビア語がメインですが、辞書の挿絵みたいなものでも、クルアーン認定されるみたい。
日本人に適したクルアーン
なるほどと思い、その友人に「でも日本にはあまりそういうのを見たことないんだよなあ」と告げると、「英語版があるじゃないか!」と言われました。なかなか洋書のクルアーンは売ってない、手に入らないのが現状なので、まあ、そこは、まあ、なるほどと返しました。
以前から、気になっている日本語解説書のクルアーンを先日とうとう実物を手に取ることができました。
中田孝先生監修の「日亜対訳 クルアーン」です。
書店の「宗教」コーナーに並んでいたので、手にとってみたのですが、なんと、挿絵レベルの大きさですが「クルアーン」がページごとに掲載されています。
ということは、これはクルアーンの日本語解説書ではなく、れっきとした「クルアーン」ということになります。
これは自分的には一大事でした。
まあ、まだ購入していないのですが、クルアーンというのは他の書物とはレベルが違うといいますか、もう「神の言葉」なので特別中の特別なのですね。
このレベルになると、生理中の女性は手にとって読めませんし、男性もウドゥー(浄化)しないとダメです。清潔なところに保管して、大事に扱わないとアッラーに対して失礼になります。
そういう対象となるクルアーンが手に入る時代になったのだな!(以前にしろ最近にしろよく知りませんけど)と妙に感心しました。
よし!買うぞ!と思っているのですが、今現在読んでいる「クルアーン やさしい和訳(国書刊行会)」を読み終えてから購入する予定なのですが、結構なお値段だったりします。5280円。これはなかなか。これはなかなかです!
(ちなみに「クルアーン やさしい和訳」はkindle版。2376円でした)
クルアーン、消費者行動の抑制的要因
日本語-アラビア語対訳のこの「日亜クルアーン」。2020年9月現在、もっと最新の「クルアーン」です。僕が持っている「クルアーン やさしい和訳」は2019年発刊ですが厳密にはクルアーンではありません。
この「日亜クルアーン」の値段は5280円。日本人(日本語文化圏)ムスリムからすれば、これ一冊でクルアーンですので、高いけれども高くないと思います。
実際、手にとった感じでは装丁も紙の質もそれ相応だと思いますし、これ一冊のコストを考えれば、妥当な値段設定だと思います。
大きさはA4サイズ。ページ数は766P。文字は小さい。
ざっくりというとハードカバーの田舎のハローページ。
これ、イスラームを勉強したい人が「選ぶか?」ということなんですね。
日本人(日本語文化圏)ムスリムからすれば最高の1冊なのですが、イスラームを勉強しようとする人にとってはハードルが高すぎる。
僕もイスラームに興味を持った時に手に入れたのは「図説イスラム教の歴史」というビジュアル重視の本ですし、クルアーン(日本語解説書)も井筒俊彦先生の文庫版でした。
そこから興味を持続させてクルアーンに手を出せるとまでになると思うのですが、気軽さの低さという意味では類をみないぐらい手軽ではないです!
まあ、日本においては手軽に始められる宗教ではないですし、クルアーンは手軽に読むべきものでもないですから、もちろん、その抑制力は無駄ではないと思いますが、それでも、イスラーム理解的にはひとつのハードルになっていると思います。
僕は以前の仕事で「趣味の世界」を浸透させることを生業(出版物の編集屋)としていたので、そういうところが非常に気になる。
日本語とアラビア語を一冊にまとめたら、とんでもない厚みの本になるのは承知の上なのですが、それでももうちょっと方法はあるだろうと思うのですね。装丁にしろ紙面デザインにしろ。
別に僕はイスラームのムスリムとムスリマの数を増やしたいわけではないのですが、なんか、ハードルは下げたいなあ、そういうお手伝いをしていければいいなあと漠然ですが思ったりしています。
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