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1990年代の女子高生の最強アイテム【エッセイ】



最近、noteで『昭和の電話事情【エッセイ】』や『日本における携帯電話(船舶電話・航空機電話を含む)の歴史』などの投稿する中で“ポケベル”と単語が出て来る。
2001(平成13)年生まれの娘に聞いてみると“ポケベル”と言うのは、聞いたことはあるけど、ポケベルを見たことがないと言っていた。

携帯電話などがない当時は、外出中の相手に連絡をとる手段がなかったため、ポケベルが登場したことによって、外出中の相手へ手軽に連絡を取ることが出来るようになった。

ポケベル世代にとってのポケベルは、若い頃の思い出とともに懐かしい思い出のアイテムだった。
その世代によって、ポケベルについての話題は、盛り上がる。

自分の場合、“ポケベル”の全盛期には、ポケベルから携帯電話へ通信手段は変わっていた。
自分がポケベルを使っていたのは、10桁程の数字が表示されるものをビジネスシーンで使用。
だから、ポケベルは仕事のためのものと言った感じだった。
その頃も30歳代だったおじさんから見た女子高生たちには“ポケベル”は最強アイテムのように思えた。
携帯するのにポケットに入るサイズ。
ポケベルの毎月の基本料金は、2~3千円程度。
ポケベルは受信専用であることから、特別なサービスを利用しなければ利用料金がそれ以上に増えることはなかった。
また公衆電話からポケベルへのメッセージ送信時の料金は、1分10円だった。
今のスマホと比べると機能的な制限はあったもののコスパに関して、女子高生の小遣いで賄えるものだった。
余談だか、この頃の女子高生のファションとして、制服のスカートを短くしてルーズソックスを履いていた。
そんな女の子たちが公衆電話でものすごい勢いでプッシュボタンを押していた姿を思い出す。
女子高生の印象が強いため、当時の男子高校生は地味に感じていた。

ポケベルは機能の進化によって使い方の変化にも特徴があるので、ポケベルの話題を通じて、年齢の推測も出来る。
だから、当時30歳以上は主に仕事での利用。
女子高生を中心に“ポケベル”は最強の通信アイテムという感じだったように思える。

若い世代の人はポケベルを見たこともないので、簡単にどんなものだったか説明しようと思う。
ポケベルには、個別の電話番号が振り分けられており、ポケベルの電話番号へ電話をかけで数字によるメッセージを送信することが出来た。
ポケベルは携帯電話のように通話ができるわけではないため、メッセージの受診のみ。メッセージを受けたら、必要に応じて公衆電話や固定電話から電話をかけるというものだった。

ポケットに入り気軽に持ち歩けるサイズの端末で、出先でメッセージのやり取りができることが画期的だったため、ビジネスシーンや女子高生などの間で瞬く間に広く普及した。

ポケベルの数字のみのメッセージは、のちに2タッチ方式による文字表記も可能となるほか、呼び出し音の代わりとなるバイブレーション機能や、目覚まし代わりのアラーム機能などの機能も充実していった。

ポケベルは、一般的には1980年代後半から1990年代にかけて普及したと言われている。
調べてみると1958年にアメリカでサービスが開始されていた。
日本においては、その10年後の1968年に、日本電信電話公社(現:NTT)によって、ポケベルのサービスが開始され、当時の端末はレンタル。

1990年代になって、端末を個人の所有物として購入することが出来るようになる。
1996年には加入者が1千万人も超えた。

その後のPHSや携帯電話の登場とともに、ポケベルの利用者は減少して、令和元年にはサービス終了となった。

使われ方としては、ビジネスシーンでは、サービスが始まった当初は、主に官公庁や医療関係者などへの緊急連絡の手段だった。
その後、一般企業において主に外回りをしている営業マンに会社が連絡するための手段として徐々に普及していた。

当初は電話の着信ベルだけが端末に送られていましたが、10桁程の数字データを端末に送信できる機能が追加されるようになり、外出中の営業マンはポケベルが鳴ると、公衆電話へと走り、表示された電話番号連絡をするというふうになった。
これにより取引先や顧客からの電話への対応の迅速化が進んだ。
ビジネスシーンにおいてポケベルは無くてはならない存在へと定着していった。

プライベートシーンではというと、テレビドラマや歌のヒットによってポケベルの存在が広く知れるようになる。
ポケベルの利便性は女子高生のなかで注目を集めていく。
1990年頃から端末の購入も可能となり、若い世代を中心にプライベートでのポケベル利用者が増加。

数字しか伝えることができない頃は、「ポケベル暗号」と呼ばれる「数字での語呂合わせ」を使った方法によってメッセージを送り、後に文字の送信ができるようになったことで、ショートメールの会話に近いやり取りが出来るようになった。
そのことによって、どこに居ても中高生にとって気軽なメッセージのやり取りが出来るようになった。

ポケベルの毎月の基本料金は、2~3千円程度。
ポケベルは受信専用であることから、特別なサービスを利用しなければ利用料金がそれ以上に増えることはなかった。
また公衆電話からポケベルへのメッセージ送信時の料金は、1分10円だった。

そんなこともあって、中高生にも広く普及したのと思う。
このころ、街の公衆電話でものすごい勢いでプッシュボタンを押す女子高生の姿を目にしたものだ。

加入者が1千万人が超えた1996年の時、中学1年生は1983(昭和58)年生まれ、高校3年生だと1978(昭和53)生まれくらいということになる。
当時、中学1年生だった子供も今では40歳を超えている。
高校生だと40歳代半ばというところだろうか。
今の40歳代の女性の姿から、当時のミニスカート、ルーズソックス、茶髪なん想像出来ないほど、落ち着いている。
当時ヤンキーだった男子高校生はその雰囲気を残している者は目にするが本当に女性は変わってしまう思う。
そのせいか40歳代の女性のメールやLINEの文字入力は早いと思う。
ポケベルという下地があったから、携帯電話やスマホを使いこなすことが容易だったのだと思う。
還暦を過ぎた60歳以上の者になるといきなり、スマホを使いこなしていない人たちが増えるように思う。
これは単に気のせいではないと思う。


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