見出し画像

十人十色の寄り道編2

前回少し自分が行ってる活動の講演の一部をお話しましたが、今回はその続きです。一個人の理論であるので受け止め方は人それぞれです、今回もこんな考え方もあるんだなと感じて頂ければ幸いです。

話し方・考え方

ヤンボラが終わったその日にスタッフの反省会があります。まあ個人個人思いがあるのでその発表なのですが、スタッフが多いとそれが終わるのが2時間とか半端ない時間がかかる時もありました。
話す内容なんて皆さんそれぞれですが話し方について鳥居先生は厳しく、いつのまにか自分もそうなっていました。それは、

○○さんと同じ答えなんですけど

私も皆さんと同じ考えで…


自分の考えは他人と同じなはずありません!

似ていたり近いなら分かりますが、同じような答えや考え方でも自分の口で言ってるなら自分の意見だと思います。答えのゴールは一緒なのかもしれない、ただ途中過程の考え方は人それぞれです。

本編で少しお話させて頂いたヤンボラの質問

100万円あったら?

いろんな答え出ました。旅行,趣味,買い物などですが旅行と答えた人、10人中10人目的地も理由も違います。その中で目的地が被ったとしたらそこからまた話題が膨らんで行きます。それは自然と人と人が繋がる瞬間でもあるんです。
この人東京行きたい言ってたけど自分と行きたい場所違うな、聞いてみよう。
実際自分のグループでも隣同士で「ここいいよね〜」など盛り上がる人たちもいました。
答えは同じかもしれないけど自分の考えたことを話すだけでも違う考え方などになり、人との見えない壁を取り払う事だってできるのです。同じ意見だからと言って悲観的になっていませんか?自分の意見、似ていてもしっかり言える事こそが人としての次のステップにつながるんじゃないでしょうか?

偏見

昨日まで開催せれていたパラリンピック、連日の様にメダル獲得やテレビ中継などされていました。数年前とは違い障害者スポーツなども世間的にも知れ渡ってきて共存できる社会が形成されて来た気がします。しかしまだ考え方として障害者としてみる目というのは少し抵抗ある見方の人もいます。
学生とかに多くいる考えなのですが、

車椅子=歩けない=可哀想

と、こんな考えの人がいます。はたしてどうなのでしょうか?
歩けないから車椅子はそりゃそうです、ただ生活していく上での体の一部として使う訳ですよね?では

メガネをかけてる人は障害者?

この質問だとどう思いますか?

目が悪いだけ!!

車椅子じゃない!!!

偏見です。
目が悪いからメガネかけてるんですよね?
足が悪いから車椅子乗ってるんですよね?
同じじゃないでしょうか?
生活の一部にメガネがある様に車椅子だって同じなんです。目の悪さにもいろいろありますがメガネをかけてて可哀想と思う人はいるでしょうか?偏見なんですよね。

過去に札幌の社協の方とお会いする機会があり交流したのですがその中に1人車椅子の職員がいました、下半身不随で歩けずずっと車椅子生活だそうです。しかし話しを聞くと仕事に関しては平等にされてるらしく逆に気を使われるのが嫌だそうです。普通に4大出ているので自分より遥かに頭がいい方で、英語もペラペラでした。
上司は今言うとそれ言っちゃパワハラなるだろという言葉を職員の皆さん,その方含め言われているそうでw
平等なんだなあと思いました。

又知り合いに脳性麻痺を患い、電動車椅子の方がいます。会話は普通にできますがパソコンを使って会話するのが早いのでそれを使い会話してるのですが、あるイベントであった時に、

げんくん、車椅子の後ろにドライバーあるから取ってよ、これでパソコン打ち込むけどげんくんより打つの早いよw

ドライバーで起用に打ち込み、本当に自分より早かったです。そりゃもちろんかなり努力したと思います。しかし人は何かをやろうと、やり遂げようとしたかったら努力します。その方はパソコンを早く打ち込みたいという努力をしただけなんです。すごい事なのですがその事をただただすごい!と褒めちぎるのは違います。当たり前のように生活してるだけ、ただそれだけなんです。

偏見に囚われない世界、共存と共生の生活は本当に広まって来ています。みんなが当たり前の事が当たり前の様に生活出来る世界になればいいなと思っています。

今回はこの辺で終わりにしたいと思います。引き続きボランティア論の本編もよろしくお願いしますw。

ちなみに見出しの写真は関係ありませんw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?