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生理にまつわる、少々寂しい話

寝ころびながらスマホをいじっていた時だ。お腹の張りを感じる。
これは、まもなく生理が訪れるよ、という身に覚えのある感覚であり、
長年付き合ってきた体からのメッセージだ。

ただし、いつもと違う点がひとつ。

予定日より1週間以上遅れていた。
我が生理は、雨の日も嵐の日も毎日、同じ時間に欠かさず届けてくれる新聞配達のようで、ある意味、私が唯一誇れる長所でもあった。何十年来の付き合いがあるが、こんな事態は初めてだ。遅配に気が付いて、まず思ったのは年齢のこと。

40も半ばを迎えると、いわゆる老化と呼ばれるような体の不具合が目立ってきている。小さい文字が見えづらくなり、人の名前が思い出せず、膝が痛むようになった。グルコサミンの出番かもしれない。

「いつまでも若いつもりでいたが、体は正直」とはよく言ったもので、体のあちこちに起きる、今まで感じたことのなかったような異変に実年齢を痛感する。老化は確実に進んでいるのだ。

生理の遅れに関しても、否が応でも「老い」をどーんと突きつける、ひとつの事象だ(病気の可能性もあるが)。私は未婚で、子どももいない。いい年齢なので、今更欲しいとも簡単にできるとも思っていない。そもそも、妊娠のチャンスがあったとして、体質的に可能だったのかもわからない。

ただ、閉経の足音が実態をもって近づいてくると、「これでもう本当に子どもを持つことはないんだなあ」という、漠然とした寂しさに襲われた。女性としての機能を使うことなく、静かにゆっくりと消えていくことに。

いまだ未婚に対しての風当たりの強さはある。デリカシーのない発言に辟易し、こちらの事情を知ろうともせず、一方的に私の人生について勝手にダメ出しする感じ。あなたは結婚して、親になった。私は結婚せず、親になってない。ただ、それだけのこと。

興味あることは積極的に経験したいと思う性格だから、子どもがいる人生を経験してみたかった。けど、今の人生は悪くない。

年齢を重ねることで、これまで当たり前だと思っていたことがそうではなくなる。寂しいけど、しっかりと折り合いをつけて、歩みを続けるだけだ。

生理の遅れは私にそんなことを思わせてくれた。

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