見出し画像

レコ発はシェルターから

東京へ、自分達のレコ発企画をやりに行った。
自分達の企画となると、開催したのは3年振りくらいだった様な気がする。あれほど毎月東京でライブしていて「羽田空港から下北沢まではもう目を瞑っていてもいける。ほら、この通りスマホで乗り換え案内を見なくても大丈夫だろ?(笑)」とメンバーに言いながら、完全に逆方向の電車に乗っていた時がもう3年前かと思うとゾッとする。

18歳の頃は漠然と東京に住むんだろうなあと思っていたが、何となく、ただ目の前のことをやっているうちに29歳になっても札幌に居る。もう出る気もあまり無くなった。東京、何度も行ってたらライブもカッコいい友達だけで出来る様になったし、朝まで麻雀をしてサウナに行ってラーメン食べて飲める友達も出来たし。幸せ者すよ私は。

初めてメンバー4人で同じ車に乗り、同じ飛行機に乗り、東京に向かった。行きの飛行機がポケモンジェットで、「これはとてもいいフライトになるゾ!」と思った。まあまあ揺れた。一刻も早く降ろしてほしかった。前の座席に座っていた赤ちゃんが最高だったエピソードが出来たので、ネットの海に放流せず事あるごとに話していきたい。

札幌からNo.18、札幌から東京へ行ったマイアミパーティ、大阪から東京へ行ったヤマトパンクスと4組で東京のレコ発が出来た。全員友達でやれる日っていうのはとても尊いものだと思うし、全員がカッコいい友達っていうのは本当にとても嬉しい。9月にTHE ROMANTIC MOTELとツーマンした時に俺らを初めて見たお客さんが来てくれたり、真空ジェシカのラジオ父ちゃんのジングルから俺たちを知ってくれた(奇跡)お客さんが来てくれたり、2日前に札幌で対バンしたIRIS MONDOの2人も見に来てくれたり、全てが繋がっていくんだなと思った。無駄なことなど、あんまりないらしい。
1年間さよならミオちゃんのサポートをしてくれた声児(挫・人間)にも、久々に会えて嬉しかった。本質的なカッコいい所が変わらないままパワーアップしていてやっぱり最高だ…となった。

次の日は完全に一日空けていたので、GEEKSTREEKSのヤスさんという友達の家にNo.18のジューシーさんと泊まり、銭湯に行ったりするなどした。ジューシーさんのいびきがミサイル着弾音と聞き紛うくらい大きく、俺は東京で骨になるのか…と夢と現実の狭間で恐怖した。遠く離れていても何年振りに会っても昨日会ったみたいな距離感で遊べる人が東京に居ることは、バンドをやっていなければ無かったかもしれないと思うと、改めてバンドをやっていて良かったなと思った。

最終日は高円寺と中野で久松と遊んだ。古着を買ったり、中野でたまたまやっていたカイジ展でテンションが爆上がりするなどしていざ札幌へ電車に乗って帰ろうとすると、全ての荷物を入れたリュックが無いことに気付く。「どうしよう久松俺リュック無くない?え?無いよね久松これヤバいよね??」とパニクってた俺に久松は「あ、ないっすね。」と冷静に返してきた。その時は「なんと冷たいことか、ここは東京ではなく凍り狂った街、凍狂(とうきょう)だったのか」と思っていたが、後から聞くと「あそこで僕も慌てると車内パニックになってしまうかも知れなかったので、冷静になりました」と言っていた。人として8枚くらい上手すぎる。リュックはカイジ展でテンション上がりすぎてその場にポーンと置いていたのを店の人が回収してくれていた。全部俺が悪すぎる。

次のレコ発は大阪、11/11。カッコいいことをして、また忘れられんくらいの思い出を沢山作りたい。

カイジ展がやってた
この時点ではリュック、持ってるな
サウナが楽しみすぎるジュニキ
高円寺のいい感じの飲み屋
街中
なんで東京に来てまで
東京で見るNo.18、良かったなぁ
ヤスさん!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?