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癒し、崩壊、解放

この記事は、いて座の新月:星予報の内容に則した記事です

こんばんは、さっかです。


本日は、いて座の新月でお伝えした、癒し、崩壊、解放の星に関連するお話しをしたいと思います。

人は、怪我をしたり、病気をしたり、疲れたりしたら、癒すことが必要です。眠ったり、ストレッチをしたり、マッサージをしたり、傷の手当てをしたり。体もそうですが、特に、こころは大切です。

心も、折れたり、傷ついたり、疲れたりするのですが、ただ、心は目に見えない分、厄介です。しかも、まだまだ精神医学がいっぱんに広く浸透しているとは言えないところがあります。カウンセリングに行ったり、精神科に通うと、どこか自分は社会の階段を踏み外したような気がする人も少なくないことでしょう。「歯医者に行ってたんだ」というのと「精神科に診てもらってた」というのとでは、ずいぶん印象が違います。

わたしは、思うことや感じることを正直に言うところがあり、精神的に落ちているときでも「精神的に落ち込んでる」なんて、言うのですが、そうすると、返事に困ったように何も言わなく人が結構います。つい先日も、ある知人からFBで「お久しぶり。お元気ですか~?」って、メッセージを頂いたので、正直に「今年は大変だったけど、元気になったよ~」と、事実を書いて送ったら、し~ん、と、返事が返ってきませんでした。

なぜに???

って、思ったのですが、いつでも元気でいつでも調子が良くないといけないんだったっけ?って、膝の裏をスコンと押されてガクッとくる感じと、一抹の寂しさを覚えました。沈黙で返すかなぁ・・って。そして、ちょっとそれってないよね・・という、一抹の苛立ちも感じました。

この国は、とても寂しい国です。人が傷ついたり、大変な思いをしていると、背を向ける人が少なからずいます。手を差し伸べる人は、あるいは、静かに耳を傾ける人は、ごく少数です。ちょっと前に、ウィキピディアに寄付をしたら、あなたは、日本のほんの数パーセントの珍しい日本人です、またぜひお願いします、と、返事をもらいました。そうか、日本の人って、寄付とか、人への援助とか、あまりしないんだな、と改めて気付かされました。

以前、東京の中央線のある駅に立って電車を待っていたら、見ず知らずのフランス人の男性に突然話しかけられました。

「日本は寂しい国だ。僕は、明日フランスに帰るんだ。こんな国にいたら孤独感で死んでしまう!みんな、本当に冷たい!!今から成田に向かうんだ。」と、訴えるように言うのです。なぜ、わたしに言うの?と、聞いたら「どう見ても、君は日本人じゃないのがわかる」と、言われました。ちょっと笑いましたが、多分、他者に対するエネルギーの出し方が違うんだろうな、と思いました。

簡単に言えば、話しかけやすいのでしょう。日本の芸能の仕事のある現場でも、仕事相手のアメリカ人たちに、ずっと韓国人だと思われていたことがあります。驚いた。君は。話しかけてくれるし、気楽に話しかけやすいから日本人じゃないと思ってた、と言われました。

そして、正直のところ、このフランス人男性の言うことは、とても良く理解できたのです。確かに、この国は寂しい。わたしも同じように感じていたのです。話しかけにくいし、話しかけても、話していても、どこか線や壁を感じるからです。本当のところを開け渡さずに、どうでもいい話しばかりする、あるいは、嘘をついている、という感じがします。

それで、いつだったか、日本人の友人に、寂しくてたまらない、と言ったことがあります。そうしたら、彼は「みんなそうだよ。僕だって寂しい」と、返ってきました。

そうか、みんな寂しいんだ、と、ある意味納得しましたが、こういうのが、寂しいのです。みんなそうだよ、でくくったら、おしまいになってしまう。そうか、寂しいのか、君は、どういう風に寂しいの、とか、気持ちわかるよ、僕もおんなじだから、と、聞き返してくれたり、共感してもらえると、ホッとするものです。でも、なんだか、日本の人たちに感情を伝えても、特に、悲しみとか孤独とかを伝えても、最初から行き止まりの道に案内されるような感じがするのです。だから、だんだん言わなくなる。そして、海外の友達ばかりと会話をすることになるのです。

ずっと、考えていました。どうして、こんなに人間と人間の間に壁があって、お互いに関心がなくって、関心があるときは「自分が他者にどう思われているか」あるいは「自分がどれだけ相手に優位に立っていられるか」みたいな感じの人が多いんだろう、と。

もちろん、そんな人ばかりではありません。でも、多くの人がそんな感じなのです。さっき、noteのトップページにあった「おすすめ」記事をいくつか読んでみたら、ある女性の方が、自分は社交的ではない、人の目を見て話すのが苦手だ、と言う風に書いてあり、目をそらす彼女に、かがみこんで目を合わせようする人なんて特に苦手だ、と言う風に書いていました。

わたしの視点からゆくと、人の目を見て話せないのと、社交性が低いのは別物です。そして、目を合わせたくないのは、社交性とは別の理由があると考えられます。

わたしも、ある特定の人と、目を合わせるのが嫌です。ほとんど合わせません。敵対しているわけではありませんが、その人のエネルギーが恐ろしくネガティブだからです。その世界に吸い込まれたくないのです。

けれど、わたしは、世の中的に行くととても社交的です。誰とでも、全く知らない人でも、どんな人種の人でも、どのような社会的地位にある人とでも、同じように話しをする、という、ほとんど特技のようなものを持っています。持って生まれた星にもそれは表れています。

この女性は、恐らく社交性とは別の理由があると思います。

一つは、こころをなんらかの理由で閉ざしている。だから、人の目を見て話すことに恐怖心や違和感を感じる。

もう一つは、自閉症の人たちも、目を合わせたがらない人が多いと聞きます。ものすごく敏感で相手の目を見ると、その人のエネルギーがど~~ん、と一気に入ってきて疲れたり、混乱したり、知性や感情に乱れが生じる。そんな感じだと印象を受けます。

あるいは、人と話す、ということに慣れていない。子供のころから親や教師やいろいろな、いわゆる目上の人たちから一方的に話しかけられたり、指示されたり、批評されたり、非難されるだけで、ディスカッション、対話そのものをあまりしたことがないため、慣れていない、どう対応したら良いのかわからない、というのもあるように感じます。

知る限り、目を見て話せない人は、日本には多いです。子供たちに英語を教えることがありますが、英語で会話するのに、前にいるA君と話す設定で会話をしても、横にいるBさんの方を向いて話す子がいます。最初は、ビックリしました。

その子の場合は、こころを閉ざしていました。だんだん、相手を真っすぐ見て話すようになりましたが、社交性はある子でした。ただ、目を見て話せなかったのです。

それで、話を戻すと、ず~~~~っと考えていたのです。

なぜ、こんななんだろう?海外でこんな国を見たことがない。(アフリカ、アジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸、カリブ海諸国に住んできた)

本当にず~~~~っと、です。

ところが、この初夏ごろだったと思いますが、その理由、根源がわかる話しを聞いたのです。英語で言うjack pot - 大当たり!に相当するような話しでした。わたし自身も、ずっと心のどこかで感じてきたことです。それを言葉にして、物語にしてくれたようなお話しでした。。

ある、ユダヤ人男性のお話しです。

その男性は、ドイツナチス軍が台頭してきた1930年台の後半に、ドイツで家族と住んでいました。当時まだ小さな少年で、バイオリンを弾くのが上手く、神童と呼ばれていたそうです。そのうちに、ドイツナチス軍が勢力を持ち始め、ユダヤの人たちを激しく差別するようになり、ユダヤの人たちは、危機感を持ち始めました。そうして、このままでは危ない、急いでまず子供達を避難させよう、大人たちは話し合い、その街に住んでいた数百人のユダヤの子供たちを、他国へ集団疎開させました。

陸続きの他国に行くことになった子供達は、汽車に乗り込むと、窓際に集まり「お母さん、お母さん!」と、みんな叫びました。離れ離れになるなる愛しいお母さんを汽車が出る前に一目見たかったのです。そのバイオリンの神童の少年も、多くの人で混雑するホームに、自分の母親の姿を探しました。けれど、なかなか母親を見つけることはできず、ずっと叫び続け、とうとう、汽車が動き始めたころに、人ごみの中に自分の姿を探していた母親を見つけました。その瞬間に、互いに目が合ったそうです。

その時の母親の表情は、悲しみと恐怖で凍り付いていました。少年が母親の姿を見たのは、それが最後でした。彼女は、やがて収容所に連行され無惨に殺され、男の子は国外で育ちました。

少年は、成長すると素敵なバイオリニストになりました。そして、美しい女性と結婚しました。けれど、彼女は、次から次へとほかの男性と浮気を続けました。それでもバイオリニストの男性は、見て見ぬふりをして通したそうです。何十年もです。

そして80歳を過ぎたころに、パレスチナで殺されている子供たちや、世界で戦争に巻き込まれている子供たちを見て、自分はボタンを掛け違えて来た、なにか間違ってきた、と気づいたそうです。

パートナーの女性が、自分との関係性に愛を感じられず浮気をし続けても知らん顔していたのは、僕自身が心を閉じていたからだ、と、気づいたのです。

自分は、まだ幼かったころに、最後に見た母親の顔をずっと忘れられないまま生きてきたんだ。

悲しみと恐怖に満ちたあの凍りついた顔。それが、自分の心の中に巣食い、深い傷になったままになっていた。そうして、心を閉ざしたまま、誰も愛することなく、周りに関心を持たずに生きてきたんだ。だから、彼女は浮気を続け、僕は、それを無視してきたんだ。

世の中は動いていて、時は動いていたのに、自分はずっと同じところにいた。同じベッドで眠り、同じ家に長年住んできた女性とも、こころを交わすことがないまま。

そのことに気づき、彼は、癒され、そして、それからは活動的に困難な状況に置かれた子供たちへの支援活動を続けたそうです。

わたしは、その話をきいて、あぁ、そういうことだったのか!と、思ったのです。

要するに・・日本の人たちは、このユダヤ人男性と同じなのだろう、と。

日本の人たちは、悲しみと恐怖から抜けきれていないんだ、とこの話気づいたのです。自分の本音が言えない、あるいは言わないのも、他者にあまり関心がないのも、このバイオリニストと同じなのだろう。日本は(ドイツも)連合軍にものすごい空爆を受けています。日本は60都市が爆撃され合計80万人の一般市民が殺され、ドイツは66の都市が爆撃され、合計230万人の一般市民が殺されています。

https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/03.pdf

日本自然科学研究所の世界各国の戦死者の統計 


しかも、日本は、原爆まで落ちてきた。人類をそのまま消滅させることができる、一瞬にして何もかも破壊する恐ろしい爆弾を受けたのです。それだけでなく、100万人くらいの海外派兵兵士たちが、飢餓で亡くなっています。

恐怖と深い傷のため、このバイオリニストと同じように、ずっと、国民がみんな固まったままなのだろう。人を信用したり、愛したりすることがみんな難しいのだろう。

そう、気づいたのです。

でも、戦争なんてとっくの昔の話だよ、どうして今のわたしたちに関係あるの?と思う人もいるでしょう。でもね、物事は続くのです。ちゃんと認識して、癒して、解決しないと。

わたしが最初に戦争の深い傷に気付いたのは、東京ででした。世田谷区に住んでいたのですが、ある程度、生活に余裕にある人たちの住んでいるエリアでした。そこで、近所のパン屋さんに行ったのです。結構人気のパン屋さんでした。夕方になるといつも長い列ができていました。その日もそうでした。レジにみんな並んでいました。よく覚えているのですが、わたしはその時、秋のスペシャルアップルパイのようなパンをトレイに載せて、何をするともなく列で待っていました。

ところが、初老のおばあさんが、レジのすぐ前くらいで列に割り込んだのです。本当にグイッと。驚きました。そんな初老の女性を他の国で見たことがなかったのです。

年齢が上がっている、と言うことは、人間社会に住む良識が育っていることだ、と思い込んでいました。アフリカのお婆さんなんか、そう言うことは決してやらないです。まぁ、アフリカだったら、若い人たちが列の順番をお年寄りに譲るかもしれませんけど。アメリカでも、お年寄りが割り込みなんてやらないです。やるとしたら、頭が少しおかしくなっていたり、若い時にクスリをやりすぎた人とか・・そのくらいです。

だって、割り込むなんて、良い年をした人が・・しかも、一応、東京では中流以上の人々が住んでいるエリアでした。

その時の衝撃で、しばらく考えました。どう言うことなんだろう、って。

そうして、その姿に戦争孤児を見たのです。親や兄弟も死に、焼け野原に育ち、生きるためなら何でもする。勝つと言っていた戦争に負け、神だった天皇が人間になり、それまで鬼畜米英と言って敵対視していた人たちに頭を下げるようになり、急に学校で英語を学ぶことになり、それまでの大人も神もモラルも信頼できない。そうやって育った子供たちは、信じられるものが何もないまま、生きること、食べること、お金の勘定をすること、少しでも人に勝つこと、そればかりをしてきたのではないか。モラルだとか、礼儀だとか、年齢相応の優雅さだとか知恵だとか、そう言うのは尊重されなかっただろうし、身につける余裕もなかった。ただただ、焼け跡から経済大国になってきた国の国民なのではないか。

そんなふうに目に映りました。

実は、NYでも劇場などで日本人は礼儀や作法がない、とあまり評判は良くないのです。正直、恥ずかしかったです。人を押しのけて席を取って、自分のことしか考えていない、周りを見ない、失礼極まりない。あなたの国の人は一体全体どう言う人たちなの、と言われたこともあります。

そのパン屋さんの初老のお婆さんを見た時に、NYで言われたことの意味がわかったと同時に、そうか、ここは敗戦から立ち直れていない国なのだ、と感じたのです。他にも、モラルがない、と感じて驚いたことは山ほどあります。

え・・そんなに昔のことを今もひきづっている?意味がわからない。と思いますか?

だって、例えば、戦争の中で恐ろしい思いをし、悲しい思いをした結果、ユダヤのバイオリニストのように、心の蓋を閉じてしまったあなたの祖父母に、あなたの親は育てられたとするでしょう。そうすると、あなたの親たちも、心が開けないまま育つことになるのです。なぜなら、その親の心が凍りついたら、子供を含めて他者に心を開くのは難しいでしょう。

あなたの親は、いつも急に怒鳴ったり、暴力を振るったりする親に、あるいは、ほとんど家に帰らない親に育てられ、愛を知らずに、たとえお金があったとしても、住む家があったとしても、戦争のない国に育ったとしても、祖父母の心の中に巣食っていた戦争の恐怖と悲しみの中で育っていたら?

その親は、あなたに、たっぷりの愛情や、微笑みや、優しさや、理解や、幸福感や、そんなものを十分に与えられられるでしょうか。安心や安寧を与えることができるでしょうか。

モノを捨てられない人たちがいるのも、そういうことが影響していたりします。実際にわたしは、当時日本の植民地下にあったジャワ島(インドネシア)で裕福な家庭に生まれ育ったけれど、戦争で全てを失い、命からがら日本に行き、日本に馴染めずアメリカのニューヨークに移民したと言う日本女性を知っています。彼女の家の中には、ものすごいモノが溜まっていました。天井まであるようなモノの山を掻き分けながら、歩いて行かなくてはなりませんでした。

日本のお年寄りたちが放棄する形になっている田舎の家も、少なからずモノが溢れています。

幼い頃に、全てを失った深い傷が癒えていないのです。その傷に向き合い、癒さない限りは、捨てられない、拾ってくる、溜め込んでしまう性癖は、いくらコンマリメソッドを利用しても、難しいだろうな、と思います。

そして、日本の場合、面倒なのは、ユダヤのバイオリニストと違い、自分たちも加害者だった、ということです。帝国として、上にも書いたジャワ島も含めて植民地化を行なっています。これは、ユダヤ人を民族浄化(ある民族を皆殺しにしようとすること)しようとして、激しい殺人をしたドイツナチス軍も同じです。日本人もドイツ人も、単純に被害者になれない。自分たちも帝国として多くの人々を虐げてきたから。(帝国というのは、他国から」搾取し、その民を虐げることで成り立つ)

ドイツに住んでいたことがありますが、ドイツにも鬱々とした人たちが確かにいました。ルームメイトは鬱でした。ただ、日本と違うのは、ドイツの人々は、ナチスドイツの罪を、日本の関東軍や帝国下の軍部や政府の行為よりもずっと明確に認識していて、受け入れていて、教育の場で歴史的反省も促しているから、日本ほど人々が鬱屈していない、ということです。

彼らは、自分の意見や気持ちをちゃんと言うし、目を見ないで話すなんてこともありません。大学にいたので、かなりの人数の人と会っていますが、そう言う人には出会いませんでした。

日本人は、わたしも含めて、戦争当時のことや、戦争の詳しい内容を知らされていません。それは国家政策だと思われますが、なかったことのように、過ごしています。少なくとも、わたしの周りに、満州で日本人がどんなことをしたか、朝鮮半島で何をしたか、話す人はあまりいません。戦争の話は、大抵、被爆、特攻隊、大空襲・・そんな感じで、映画でも、植民地化した国々にどんな政策を行い、そんなふうに、他国に攻めていったか、と言うのは、あまり聞きません。

グアムや南洋諸島まで帝国軍が勢力を伸ばしていたことを知ったのは、大人になってグアムに行ったときでした。グアムに「サクラ」という名前の木があります。名前を現地の人が教えてくれたのですが、どこから見ても桜ではない、オレンジ色の花を咲かせる南洋の木です。日本人が統治しているときにつけた名前だ、と、聞かされ驚きました。そういう話しは、わたしが日本に長い間いなかったから知らなかっただけでなく、多くの人が知らないように思います。日本に住む日本人に聴かされた記憶がありません。メディアでもあまり取り上げられていません。

そうやって、歴史を無かったことのようにすると同時に、それに付随する、人々の感情や意識も「なかったことのように」してきて、感覚を失ってしまったのではないか。そんな風に観察してきたのです

臭いものに蓋をしてしまったら、手立てをしない限り、そのままもっと腐ってゆきます。戦争が終わって80年経とうと、100年経経とうと、当時を経験した人たちが死んでしまおうと、過去の歴史と、それに付随する感情と向き合って、癒し、償わないと、記憶と感情は、次の世代へと無意識のうちに引き継がれてゆくものです。

遺伝子レベルの感情の遺伝の研究をしている科学者たちがいて(アメリカ)、本人が怖い思いをしていなくても、親やその親が怖い経験をしていると、その子供や孫も恐怖心を持って生まれる、と言う研究結果もあります。

日本人は冗談抜きで、怖がりだと思います。

そして、日本が様々な意味において下降の一途をたどっているのは、そこに大きな原因があると思います。常に恐怖を抱えている人が、開花するのは難しい、ほぼ不可能です。

世の中は、大きく変わっています。占星術的にも、これからどんどんスピードを上げて変わってゆくことが予想されます。そして、良い方に変えてゆくか、悪い方へとそのまま下降線をたどってゆくか、は、わたしたち一人一人の選択と行動にかかっています。

もし、良い方へと変わってゆくことを選びたいなら、自分の中にある、闇を一度知ることが避けられません。それって嫌なんですよね。わたしも嫌です。でも、今、星々が、わたしたちにそうすることを促しています。きっと、来年は年頭から、色々なことが起こることが予想されるため、身を少しでも軽くしていなさい、という意味だと思います。

自分の中の闇の正体が何か、傷の正体が、すぐに分からなくてもいいのです。目を向けてみませんか。

なぜ、人と目を合わせることもできないのか。すぐに自分にも他人にも嘘をついてしまうか。先のことが不安で不安で仕方なくなるのか。何かにいつも怯えているのか。

気に留めおいていたら、逃げないでいたら、必ず答えは、来るべき時にやってきます。わたしも同じような経験があります。わかっていたつもりだったのに、わかっていなかった自分の傷の深さに気づいたことがあります。本当に驚きました。震撼とする、という言葉がありますが、そんな感じでした。

針が一本落ちても音が聞こえるような静かな、寒々とした広い部屋に、一人で立っているような気持ちになりました。そうだったのか・・、だから、突然恐怖心に襲われたり、幸せになってはいけないような気持ちになったのか、と、気付かされ、その寒々とした部屋で呆然と立ち尽くしたのをよく覚えています。

けれど、傷を認識し(癒し)状況から自分を離し(崩壊)解放されたら(自由)本当の本当に楽になりました。自分自身を取り戻した、と言うのは、まさに、そのことでした。傷を見たときは、辛かったけれど、人生の中でも最も重要な経験の一つでした。そうそう、ユダヤのバイオリニストが、自分の中に、母親の凍りついた顔が常にあったことに気付いたのと、同じような体験でした。

傷は、認識すると、それだけで、かなりの部分が癒されます。

『傷があるからこそ、痛みがわかる。傷があるからこそ、成長できる。』

よく、そう言われます。昔は、嫌いだったこの言葉も、今は、本当にその通りだな、と、思います。傷は、悪いことでも、恥ずかしいことでもなく、人生の一部であり、気づくことさえできれば、大切な栄養になれるのです。傷のない人なんて、この世に一人もいないですし。それも、星に明確に刻まれています。

今は、傷に気づき、癒せるとき。癒し、崩壊、解放の星のとき。

この星が、皆さんのこの冬の足元を照らしますよう。

・・・

文・写真 by さっか





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