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「桜ダイヤモンド」歌詞考察 #4(最終回) 荒れ果てた ~

りんご娘「桜ダイヤモンド」の歌詞を、いろいろな視点がありますが、リンゴミュージックに寄せて考察します。
長くなりそうなので、少しずつ分けて書きます。
※著作権の関係で、noteでは歌詞全文引用はしません。歌詞サイト、歌詞カードでご確認ください。

6 ずっと続いていく夢の物語

♪ 荒れ果てた ~ 私たち ♪

♪ 荒れ果てた ~ 私たち ♪ は、明治維新後に荒廃する弘前城を見かねた菊池楯衛ら旧弘前藩士が、度重なる妨害にあいながら、桜の木を植えたことが、今の桜の名所の始まりになったことがモチーフになっています。
この故事は、様々な困難にあいながらも、弘前を芸能・音楽で元気にしようと活動を続け、りんご娘を全国レベルにまで育て上げた、リンゴミュージックに重なるものがあります。

失礼な言い方ですが、政治・ビジネス・教育・スポーツにおいても本県は後進県であり、そのためか一部の有能な若者達は都会へとチャンスを求め出て行き、またそのほとんどは帰っては来ません。 (略)
そこで何もないゼロの状態からでも、できるだけ早く、 そして楽しみながらの街づくりには芸能・音楽等がセンターピンだと考えました。

りんご娘ホームページ「プロデューサー 樋川新一からのメッセージ」

♪ まつろわぬ ~ 清廉なるsoul ♪

「まつろわぬ民」
平定事業において抵抗を続け、帰順しない民族。などの意味の表現。
「古代において蝦夷の民は、王朝にとり、まつろわぬ民であった」などのように用いられる。

日本語表現辞典

弘前(というか広く東北)は、古くは蝦夷と呼ばれ、上の例文のとおり、坂上田村麻呂の時代から征服の対象でした。
また、明治以後の近代になってからは、開発から取り残された地であり、後進的な辺境の地として蔑視されることもありました。
そのことから、東北、とくに最北の地である青森出身であることにコンプレックスを持つ人も多かったと思います(今でもそうかもしれません)。

東京に生れて、東京に育ったということの、そのプライドは、私たちからみると、まるでナンセンスで滑稽に見えるが、彼らが、田舎者という時には、どれだけ深い軽蔑感が含まれているか、おそらくそれは読者諸君の想像以上のものである。

太宰治「如是我聞」

しかし、コンプレックスに凝り固まることなく、津軽人であることに自負とプライドもあります。(それが、じょっぱり(負けたくない、あきらめたくない、その思いの結晶)の源泉とも言えます。)

津軽の人よ、顔を挙げて笑へよ。ルネツサンス直前の鬱勃たる擡頭力をこの地に認めると断言してはばからぬ人さへあつたではないか。日本の文華が小さく完成して行きづまつてゐる時、この津軽地方の大きい未完成が、どれだけ日本の希望になつてゐるか

太宰治「津軽」

♪ 春うらら ~ 夢はるか ~ 知っている ♪

「春うらら」は、長い冬を越えたと同じ意味ですね。
「夢はるか」は、「はるか夢球場1万人ライブ」のことでもあり、多くの人たちによって、ずっと積み重ねられてきた、そして、これからも積み重ね続けられていくであろう夢でもあります。

アイドルでいられる時間には限りがあります(「命はどれも限りあることを知っている」)。
夢に向かっている時間は、同時に、卒業に向かっている時間でもあり、次の世代の成長を待っている時間でもあります。

そう考えると、
♪ 舞い上がれ さよなら 桜ダイヤモンド いつかまた会える時まで ♪
このフレーズに「さよなら」を入れたことに深い意味を感じます。

輝きたいの私の考察は、こちら ↓

おわり

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