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「桜ダイヤモンド」歌詞考察 #1 舞い上がれ ~ いつかまた会えるときまで

りんご娘「桜ダイヤモンド」の歌詞を、いろいろな視点がありますが、リンゴミュージックに寄せて考察します。
長くなりそうなので、少しずつ分けて書きます。
※著作権の関係で、noteでは歌詞全文引用はしません。歌詞サイト、歌詞カードでご確認ください。

1 桜 舞い散る 舞い上がる

桜の歌で「舞い散る」「舞い落ちる」はよくあります。
パッと思いつくところでは、こんな感じ ↓

さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる(ケツメイシ「さくら」)
桜の花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ(コブクロ「桜」)
さらば友よまたこの場所で会おうさくら舞い散る道の上で(森山直太朗「さくら(独唱)」)

桜吹雪の情景が浮かぶ合唱の名曲
13:01~「さくら散る」早稲田大学グリークラブ

パッと咲いてパッと散る儚さは、日本人の美意識、死生観に通じるものがあるとも言われ、桜が散る様は昔の和歌にも多く詠まれていています。

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)

余談が長くなりましたが、とにかく「舞い上がる」は珍しい気がします。

一方で、「舞い散る」と「舞い上がる」には共通点もあります。
それは、どちらも「花びら」に関する表現だということです。

花びらは、儚い存在です。
一度花びらになって枝から離れてしまうと、もう元には戻れないし、舞い上がるか、舞い散るかも風次第です。

この儚さは、一定の活動期間を経て卒業していく、アイドルを表しているとも考えられます。
♪ 舞い上がれ ♪ は、りんご娘へのエールであると同時に、いつか来る別れの日を暗示しているのかもしれません。

※ 「桜ダイヤモンド」には、他にも別れを思わせる歌詞が散りばめられています。

いつかまた会える時まで
旅立ちを見送る
追いかけて たった一度きりの命を
命はどれも知っている 限りあることを知っている
舞い上がれ さよなら

2 いつかまた会える時まで

別れは悲しいことではありますが、一方で新たな出会いの始まりでもあります。
桜が毎年「新しい花」を咲かせることをモチーフにすると、♪ いつかまた会えるときまで ♪ は「次の花が咲く時まで」という意味にも解釈できます。
つまり、「後輩に未来を託す、その日まで」という意味になります。

こうしたことを踏まえて、♪ 舞い上がれ ~ いつかまた会えるときまで ♪ を解釈すると、

アイドル界の大空へ、farmerからの風を受けて舞い上がっていけ、りんご娘!
次の世代へ大きな夢のバトンを渡す、その日まで

こんな感じがしっくりくるような気がします。

(補足)

♪ 輝きたいの私 ♪ の考察の中で、「『桜ダイヤモンド』の歌詞は、全体としてりんご娘へのエールではないか」と書きました。

エールなら「咲き誇れ 桜ダイヤモンド」とか「夢のつぼみを咲かせよう」みたいな歌詞も考えられるところです。

しかし、前述のとおり「桜ダイヤモンド」は、旅立ち、別れの色合いが強いので、「咲く」は馴染まないかもしれません。

つづく

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