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真実、ファンを愛するNiziU

さて、私たちはNiziUに真実、愛されている、ということになる。まずは、1周年記念の感想から見ていただきたい。

2021年12月5日:1周年記念第2部を見た後

 1年前、NiziU の人気は、春からのドームコンサートツアーだってできる状態だった。持ち歌の少なさぐらいはどうとでもなったはず。でも、コロナがそれを阻んだ。彼女たちは、ファンの顔を知ら ないまま、ファンに飢えた。彼女たちが初めてファンの姿を知ったのは、ミーグリだった。この事実は、Withu にとって非常に重いと思う。
 コンサートは、アイドルやスターを、その仕事から離れがたくさせるものだろうけど、その作用の中心は、ファンの熱狂とスポットラ イトを浴びてカリスマとして君臨するときの高揚だろう。このと き、スターたちは、ファンを総体として、群衆として意識しているだろう。その経験を持たないまま、ミーグリによってファンを知ったNiziU にとって、ファンとは、自分と1対1で向き合う、自分と等身大の、顔を持った個人だった。 スパソニでファンの顔がはっきり見えたということをしきりに言うけど、それは彼女たちが、ファンを群衆ではなく個人と考え、一人一人の顔を見ようとしたことを物語っている。
 コンサートをしたい、ではなく、ファンに会いたい、と言う。これほどファンに会いたがって、ファンを自分たちと同じ地平に立って同じ道を歩む者として、比喩でなくそのままに意識しているグルー プは他にないだろう。しかもそれは、地下アイドルやご当地アイ ドルではなく、あのNiziU なのだ。WithU ほど幸せなファンはないと思う。感動の波が引き、涙もようやく乾く頃、心深く誓うものがある。おそらく誰もが。

2022年9月28日に

 ファンの言葉は、時として、価値を語る際の思い入れの水増しが多すぎて、愛情は伝わって来ても、客観的には、同じファンとしても首を傾げざるを得ないものになることがある。私自身にも、そういうことはあるだろう。そして、上の言葉も、当時はそのように見えたかも知れない。しかし、ツアーの終盤に近づいた今、ほとんどの人が同意してくれるように思う。まるで、最近のことを書いたようだと。ファンの顔が見えていると、この期間も言い続けた。何より、ライブ中、ファンの顔を見て、覚え、認知しようとしていることさえ、ミーグリで明らかになった。本番の前にバスでファンを見に行く、あわよくば交流をしようとする。「ファンに会いたい」― 多くのスターがそう言うし、そこには何分かの真実もあるだろう。だが、誰も本気にしないような正論を本気で体現してしまうNiziUにおいては、全くの真実の言葉だ。NiziUの一つの真実を、正しく捉えられていたことに、静かな満足と誇りはある。だが、より強い感慨に直ちに上書きされる。

まるで、最近のことを書いたようだ、と言った。もう一度、上の最後の段落を読んでいただきたい。

NiziUは、何も変わっていない。ただ深さだけが増して行く。私たちもそうありたい。
「同じ地平に立って同じ道を歩む者として」


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