8月13日 NiziU 初単独ライブ初日
現在のNiziUは、あなたが知っていると思っているNiziUではない。
レポとは呼べないただの感想ですが、NiziUによる感動に他人が襲われている姿を見ることで、こちらの感動が再び動き出す、リアクション動画のあの効果があればいいなと思っています。
前半は、8月13日特有のものでしょうが、後半は、多少の誤差はあっても、全ライブに共通ではないかと思います。
NiziUは、私たちの想像を超えて深かった
マコさんの言葉
最後のMCでマコさんは、他のメンバーと異質な内容を語っている。それは、私たちを、これまで知らなかった深みへ連れて行く。深淵とも暗渠とも呼ぶべき暗い所へ。私たちは彼女の人柄を神格化するあまり、見落としていることがあった。15歳で単身異国に渡って、虹プロの明るみに引き出されるまで、出口の光の見えないまま、ただただ訓練に自分を追い込んだ2年7か月の重みを、じゅうぶんに想像できていなかった。収容所の受刑者の心を折るなら、重労働ではなく無意味な行為を延々とさせるのだという。見えたと思った希望の扉も開かない中で、常人には真似できない努力を傾ける精神力を、確かにマコさんはもっていただろう。だけど、あの優しい笑顔をもつ少女の柔らかい感受性が傷つかないはずはなかった。
「自分の感情がわからなくなった(感情を失った)」という程に追い込まれていた。
「メンバー8人と出会って、そのふれ合いの中で、感情を取り戻し、自分を見つけた」
私たちのNiziUの絶対的リーダーは、私たちの想像以上の苦難を乗り越えた人だった。でも、その強きリーダーは、他の8人の支えによってつくられたのだった。体の芯に響く事実。いたわりと労いと尊敬と祝福と感謝の気持ちが、全身の血管を熱く巡るようだった。
メンバーの言葉
他のメンバーの話は、NiziUというプロ集団についての評価の見直しを迫るものだった。
「何回も泣いた」「何回も集まって話し合った」「デビューしてから辛いことの方が多かった」
去年も「みんなで集まって泣いた」と聞いた。恐らく、ショーケース中止か同等レベルの辛い通達を受けてのことと想像したけど、彼女たちがそうやって泣いていた頃、彼女たちがそこまで苦しんでいることを知るWithUは1人もいなかった。当然、そこに寄り添うことができた者も1人もいない。他人は知らず、自分がそうであったことへの痛烈な悔恨。1年経ってまた同じことが繰り返されていたことに対しては、感動の大きさが反転して、慚愧にも近い思いがあったけど、今回、みんなの言葉を聞いていて別のことに気づいた。
MV再生数の停滞、YouTube・ツイッター・インスタ2つ・TikTokの各公式のフォロワー数の減少(おそらく2つのFCの会員数・bubbleの会員数もそうだろう)。加えて、事態の劇的な打開策が見えないこと――彼女たちをじりじりと苛み、追い込んだのは、こういう客観的なファクトのはずだ。そして、彼女たちはそういう事態を、自分たちの客観的な課題として引き受けようとしてきたのだと思った。「NiziUは悪くない。運営が」とか「NiziUちゃんたちが悲しむ」とか言う言葉が錯綜する地平の遥か上に、あるいはずっとシビアな場所に、現在の彼女たちは立っているのだ、と気づかされた。その結果として、ある「覚悟(仏教用語の方の、「迷いの果てにいたる悟り」の意味も含む)」の境地にたどり着こうとしているように見えた。自分たちはとにかく頑張るしかない、という状態から、自分たちが頑張ることで事態を変えていくのだ、というプロとしての覚悟。そして、その覚悟は、そう思えるだけの段階に、自分たちの力が達したことの自覚から生まれているだろう。だから、こう言う――
「私たちについてきてください。」
その彼女たちのフルパワーを、私たちは浴びた。
NiziUは、私たちの想像を超えて凄かった
歌だけで、すべてが吹っ飛ぶ程、圧倒された
遠くからであること、モニターは個人を映すので全体のシンクロは見えないこと、ライブを通すことを考えてのパフォーマンスであることなどから、ダンスについては基本的に語らない。
「NiziUは歌」と言い続けて来た。そして、「NiziUは歌」だった。
51列目の端の方。彼女たちのビジュアルに目を奪われ過ぎることもなく、また、「NiziUが目の前にいる」とか、「自分とNiziUが同じ空間にいる」とかいう自意識の干渉に邪魔されることなく、純粋にパフォーマンスだけにさらされる位置にいたことは、むしろ幸運だったかもしれない(次は近くで見たいけど)。逆に言えば、そういう付加価値を捨象した、彼女たちの歌だけで、私は圧倒された。もちろん、ライブならではのパワフルな音響の助けはあったけど、これも逆に言えば、NiziUの歌は、ライブの力強い音響に合うものだということだ。
メンバーの歌
マコさん:ライブ前、「マコさんの声は細い」という表現を目にした。透明な芯を通した「細さ」こそ、マコさんの声の魅力だと思っていたけど、ライブのマコさんの声は、目を瞠る程力強く、同時に、いつもの透明なきらめきを、いつも以上の量と密度で放っていた。
リオ:リオの声をシャンパンボイスと呼んだことがある。溌剌さと爽やかさと軽さに宛てて言った言葉だけど、ライブのリオの声は、ジントニックボイスと呼ぶべきかという下手くそな比喩を考えて撃沈するほど、強く深かった。
マヤ:その声の天性の深みと色合い、それがそのままに深く色濃く強く、声にすでにハッとする表情があるのはいつものことながら、その驚きもまた強く深い。流石だった。
アヤカ:かつて外国人のリアクションで、その声をネイザル(鼻にかかった)だとして否定的に言われているのを見た。だけど、アヤカのあの声は、納豆やブルーチーズがその文化の外部の人間には受け入れ難いことがあるように、WithUにとってのソウルフードなのだと思っていた。しかし、同時に私は、アヤカのあの声そのままに、ボーカルとしてある達成の域に至る日を夢想していた。最近、チラホラとその萌しを感じてもいたけど、この日のステステのときに、その確かな実現を見たと思った。
マユカ・リマ:NiziUの曲には必ずラップがある。みんな知ってることだ。だけど、1曲ずつ聴いていては気づかないことを、コンサートになると思い知ることになる。あの2人の仕事の量と大きさ。2人のラッパーの偉大さ。そして2人作詞の「Take it」。MVが欲しい、コレだけで世界と戦える、と思える作品とパフォーマンス。
この2人は、歌声も素晴らしい。それぞれ個性を異にしながら、空気と戯れながら広がっていくような中音の自由な感じは共通していて、「NiziUは歌」の重要な要素だ。
そしてボーカルユニットの3人。
リク:いつもパワーと安定感を言われるリクは、最近は音色の繊細さを追ってるのではと思っていた。それは間違ってなかったと思うけど、メインボーカルの一角としてセンターステージに立つリクの歌声は、諸々全部含んで、パワフルでカラフルでエモーショナルだった。透明なふくらみはそのままに。NiziUの歌の可能性の大きな担い手だった。
ニナ:Mステとスッキリのニナの高音を褒めるいくつものを声を見ながら、違う、と思っていた。私の知ってるニナはこんなもんじゃないと。「ダンスの後半で」とかいう留保を必要とする子じゃないと。だが、この日、本物のニナは、「私の知ってるニナ」どころではなかった。CLAP CLAPの最後のハイトーンの伸びの後、もう一段上げたブーストを追加してダンスブレイクに移る演出は、会場中の空気を震わせるこの子のボーカルパワーがあって、あれ程の衝撃となった。
ミイヒ:ボーカルユニットのセンターはこの子だった。
ずっと思っていた。あの子たちが成長しないはずがない、それはミイヒもまたそうだと。nobodyがミイヒのベストのままのわけがないと。そして見せつけられた。1曲歌えば、いつでもあの日を超えられると。深く厚く響きながら空間に満ちるその歌声は、会場中の空気を陰翳深い色に染め上げ、私たちを物語の時間の中へさらって行くようだった。
そして、曲
ある方がツイートで、改めてNiziUの歌の素晴らしさを思ったとおっしゃている。ライブ中、私もまったく同じことを思ったのだけど、もう一つ、すべての曲がこの日のために作られていたようだという思いがあった。それは、一つには、すべての曲の歌詞がファーストコンサートを向いているようだという意味と、もっと深く、曲そのものが、ライブの力強い音響とリアルの熱の中で歌うべくして作曲されたようだという意味だ。NiziUのすべての曲は、何とも「ライブ映え」する曲なのだ。
予想できない、飛躍のレベル
パフォーマンスに関して最後に言っておくべきことは、ここで言ってきたすべてのことが、まだ見ていない人が絶対想像できない強度で、私たちを襲ったということだ。結果、私たちは、それまでから想像のつかない高みに立っている、誰も知らないNiziUを知ってしまった(ツイアカの@の後「@GfN813」は、この重みを刻むため)。
当日会場にいた多くが、しつこい程にブレないWithUとしてこれ以上なく、NiziUを愛している人たちだったと思うけど、あっさり新生NiziUに二度目に虜にされたはずだ。それ程にライブは素晴らしく、それ程に新生NiziUは凄かった。
世界に知らせたい
ライブ前の息もつけない程の供給に「煽り運営」と言ってしまったけど、煽る気持ちがよく分かる。このグループの真の姿を、日本中に、世界中に知らせたい気持ちを抑えられない。そしてどれだけ煽ろうが、どれだけハードルを上げようが、実物は遥かその上を行く確信がある。
8月13日が初日になったこと、その特別な日に参加できたことは、WithUとして幸運だったと思う。ただ、あのパフォーマンスそのものを体験できたことの方が、その何倍も幸運で幸福だ。
アイドル・アーティスト・スーパースター・エンターテイナー、どの言葉にも恥じないNiziUは、私たちをどろどろに蕩かしたと同時に、WithUとしての心に鋼の芯を通した。何か大きなものにまで感謝したい。
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