ポジティブな連鎖

以前、信念を語ろうと書いた時にちょこっと書いた「ポジティブ vs ネガティブ」の話と関連する話。

ネットワーク越しのコミュニケーション

最近はいろいろな事件で過激な意見をよく見かける。何かを告発するとか、問題を伝えるとかそういう文章。

一方で、記事の内容よりも随分と過激なタイトルになっているものが多くある。これはアクセスを増やすための作戦で、タイトルを過激にしたほうが多くの人に見られるからということだろう。

2つは意味が全く違うわけだけど、なにか気になる共通点がある。過激な情報という点で共通する。過激な情報は伝搬力が強く、早く遠くまで広がる。

対面してのコミュニケーション

直接人と会って話す時に、ネットで飛び交う議論のような過激なコミュニケーションはほとんどない。稀に怒りが止まらなくなって喧嘩してる人もいるけど、頻度でいうとネットほどではないはずだ。

それはトラブルを起こしたくないという心理からなのか、自分への攻撃的な眼差しを受けたくないからなのか、とにかく攻撃性は薄くなる。ネガティブさが薄くなる。ネットではそこが気にならないのだろう。匿名のSNSは特に傾向は強いかもしれないが、実名であったとしても対面よりは抑止力が少ない。

対面して話していると、とてもポジティブな連鎖が起こることがある。一方が興奮さながらに何かを語ると、それに呼応する形で会話が続き、話す前よりも話した後のほうがポジティブさが強まるという状態。

人数の問題

なんとなく書いてみたけど、これはコミュニケーションの人数の違いという点もあるかもしれない。一対一で話すと健全な会話になるが、5人とかの単位で話をすると、空気が随分と違うという経験がある。

気をつけたいこと

まず、強い言葉というのは危険性があるということ。自分が気がついた問題を「これ問題だよー。みんなも気づいてねー」と投げかける時に、それを強くきつく言うと、それは問題を起こした人にとっては辛い言葉になる。

対立が起こると、その相手も同様に強く返すかもしれない。相手を傷つけるような言い方をするかもしれない。この連鎖は絶対によくない。ちょっと考えたらわかる問題だ。

アクセスを増やすために、強い言葉になりがちな現代。アクセスが多いことが正義と感じてしまっている現代。なにか違和感の感じることが多い。

数字の魔力

価値を見直していくべきだと思う。

アクセスが多い。多くの人が見てる。フォロワーが多い。いいねが多い。こういうことが価値を持つというのは、本当に正しいのか。数字に振り回されているのではないかと思う。

InstgramやFacebookがいいねの数を非表示にする実験を行っているようだが、とても興味深い。これにポジティブに感じる人と、なんで隠すのだとネガティブに感じる人がいる。この実験の行方はチェックしていきたい。

考えていきたいこと

平和を維持するというのは、難しいことなんだろうと思う。人は争いが好きなのかもしれない。みんなが意識して平和を維持しようと心がけることが大事なんじゃないかと思う。

かといって、争いを避けるために意見を殺してしまうことを望むわけではない。人の意見の違いというのは一番面白いところだとおもう。違うからこそ面白いわけで、そこを楽しむような感覚でいけると問題にはならない。

まとめ

インターネットというテクノロジーによって人間は加速してると思う。ただその加速の結果、悲惨なことにならないようにしたい。


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