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世の中はクソだから

映画「ペイ・フォワード」で主人公が言ってました。「世の中はクソだから」と。映画の中身には触れませんが、「世の中はクソだから」だけピックアップしていきます。

世の中変だなと感じること

今まで生きてきた中でもそう言う感覚になったことはよくあります。あ、でも、こんなことを言うと怒られそうだなと思ってきました...。話しても怒られなさそうなところだけ勇気を出して書いてみます。なので、「変だなあ」くらいにしときます。

リファレンス

美大をでて、アート系の分野を志して作品など作ってた自分が、ある仕事の提案書類を初めてみた時に思いました。「え、この作品知ってるけど、提案者の作ったものではないよね」と。なんか参考写真として知ってる作品があがってました。

自分が提案書を書くときは、当時はできるだけ自分の過去作品や、新規のアイデアはスケッチで書いたりしてました。が、確かに自分ライブラリだけでは乏しいです。でも、他人の作品や事例を出すのはタブーだと思ってましたので、すごい違和感がありました。その違和感は強烈で、その引用リファレンスを用いてる人のことを信用できなくなる一歩手前までいきました。

作品作ってたころの感覚としては、とにかくネタが誰かと被るのはNG。なので、人に影響されないように意識して発案する。で、アイデアが固まってきたら、ネットで調べまくって被ってたらアイデアやり直しとかしてました。「絶対被りたくない」です。それは個人の感覚としても割と理解できました。

が、私が今活動してる展示の分野なんかも、リファレンスというものは、世の中にある画像なんかを並べて「こんな感じの世界観で」と説明したりします。

確かにそう言う進め方のほうがクライアントにとってはイメージしやすいし、現存すると言うことで、実現可能なこともわかります。でもなー。と、若い頃すごく抵抗がありました。

とはいえそんなことも言ってられないので、リファレンスは探すし自分のイメージを膨らませるのにも使ってます。画像検索とかですね。

が、そろそろ自社の実績も溜まったし、リファレンスには自社の過去実績でやりたいところ。すべて新作にしたいし、世の中にないものを作りたい。そうなるとリファレンスなんか出せません、新作なんで。といいたい。が、そうも言ってられず、なんとなく慣れちゃってリファレンス使ってますけどね。うーん。

たまにあるんです。リファレンスだけで通した企画を作って欲しいという感じで頼まれる仕事。その場合、それってそのリファレンスの引用元の作品や仕事をパクるってことになるわけで、それに作るということで加担することになるわけで。特に海外の作家の事例を引用してるのとかは悩ましいです。表現の手法や技術など何かを真似するわけでね、、。うちが断ってもどこかが作るんでしょうしね。うーん。

いいものが評価されるとは限らない

どの業界でも聞きますね。「本当にいいものが評価されてるとは限りませんね。」と。

実際なんかの拍子に名前が売れたりした人は、注目が上がるので、結果として単価が上がったり、大きな仕事が舞い込んだりして潤沢な予算でやれます。すると腕がある人はそこでどんどんいいもの作るわけです。ただ、ラッキーで上のステージに上がった人もそのまま高いステージで居続けることもあるわけです。

運も実力のうちとかいうし、しょうがない気がしてます。が、一方で凄く実力がある無名の人がいた時に、それを「素晴らしい!」と言える人が少ないのも困りもので。なんらかの賞とかそういうのが支えないと評価されないみたいなことが起こります。

ネットでバズるのは逆に業界の評価とはずれてしまう。文脈を知らない人にはわかりやすいものがよく見えるので、業界の文脈では評価されないものが評価されたりとか。文化を高めていくためには文脈の延長を追いかけたいのに、やや巻き戻しになってしまったりとか。

ていうかそうなると、いいものってなんだよって定義が揺らいだりもして。

売れる売れないとかも価値とは比例しないでしょうし。難しい。もどかしい。

アイデアが評価されにくい

アイデアって、瞬間のひらめきだったりするので、時間がかかってないように見えるわけです。でも、そのアイデアは、その人のたくさんの思考の蓄積やなんかから紡ぎ出されるもので、時間がすごいかかってるとも言えるわけです。たんに向き合った時間では換算できない。それに値段をつける時に、稼働時間とかで計算するのはナンセンスです。

見積もりが時間ベース

てか、アイデアの話は、見積もりの文化の話も関係しそうです。

時間単価で1時間いくらみたいな計算するのがわりと一般的だと思います。でも、そういう計算だと優秀な人は時間単価がすごい高騰してしまい、敬遠されることもあります。ていうかめっちゃ優秀な人だっていい仕事したりダメだったりすることもあるはずで。でも常に同じ単価で計算されます。

プログラマーなんか、へぼい人と優秀な人の能力差は100倍以上の開きがあります。でも単価が100倍違うってことはないわけです。

かと言って、普遍的な評価基準というのもなく、この方式になってしまってます。

社会の仕組みとの不整合

正しい行いが、実は人を苦しめたりすることもありますよね。あと、合理的に考えたらできないという理由でモラル上正しい行動が取れないとか。  

なんか経済の仕組みと噛み合ってないのかなんなのか。とにかく苦しい局面ありますよね。

痒くなって掻いたら余計痒くなる

てか人体なに。これ。痒くなってしまうから掻いたらダメーみたいな展開。掻いたらダメなんなら痒くならないで欲しい。信号の送り方間違えてないか。あ、これは世の中の話じゃなかった...。しまった。

まとめ

1ミリでも1グラムでも、なんか少しでも世の中の改善に加担できたらなーと思って、自分がいいと思うものを世に増やそうと日々頑張ってますが、なんかが麻痺して、やらかしてないかとか不安になることもあり。

気をつけて自分の価値観を試しながら生きていこうと今思いました。

なんか変だなってことを刷新して、やっぱこうだよねって感じに解決していきたいなーと思ってるんだけど。

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