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作品を作りたいと思うこと

いやこれは正確に言うと「作品をつくらねば」という感覚かもしれない。

美大の頃

多摩美の大学院に入ったころ、自分はもともと工学系で大学まで来たわけだけど、周りにいる人は多摩美卒で大学院に上がってる人がおおい。当然のようにみんな作品を作る。

工学部では「作品を作る」というのは基本的にはない。「研究をする」ということはあるだろうし、趣味でなにかアプリを開発したりとかそういう人もいるかも知れないが、それを「作品」と呼んでる人はいない感じがする。

卒業してから

卒業して、フリーランスとかで働き出す。「本当は作品を作りつづけたい」という意識のまま、仕事をせねば生きていけないということで仕事をする。クライアントワークというのは、作品を生み出す作業と比べるとはっきりしていることが多い。要件が決まっていて、それを作って欲しいと頼まれている。なのでそれを作れば仕事は完了。

作品の場合はそうもいかない。まず何を作るのか、ということから始まる。自分の作風はなんなのかとか、そういう漠然としたことも考えたりする。色々悩んだ末、ある方向を向いて、何かを作り出す。人に見せてみたり、展示してみたりする。

結構ふわふわした作業で、自分が何を作りたいのか、何を作るべきなのかとか、もやもやとし続ける。なので、結構作品を作るのは大変だったりする。

仕事ばっかりになる

フリーランスでやってると、仕事をもらって人の役にたった気分を味わい、対価をもらい、社会とつながった感覚を得てなにか高揚する。つい、仕事ばっかりやることになる。

そういう生活をしてるとなにか頭の中で「作品を作らなくていいのか」という声が聞こえてくる感じがする。なんていうか、仕事がうまくいっていても、堕ちていく感じがする。偏った感覚かもしれないが、たぶんこの感覚を味わっている人は多いはずだ。

作品を作る状況にしていく

自分の場合は、「作品を作らないと」という感覚が強かったので、仕事を止めて作品制作をすることが定期的にあった。フリーランスになってしばらくして、すぐ仲間となにか作り始めたりもした。それが仕事だったりもするし、仕事じゃなかったりもする。まぁ仕事だったとしてもフィーはとても少ない。

ある種の覚悟をして、貧乏になりながら作品を作るモードに入り、作品を作る。生活費もほしいので仕事をする。そういう順番だろう。

結婚や子供の誕生

とそんな感じで、作品のような仕事のような中間ぽいことをやりながらも年をとっていった。結婚するときがやってきた。社会人としてまともになった感覚をまた感じつつ、家族の存在を得てある意味まともにならねばという感覚が湧く。「作品なんか作ってないで仕事しよう」という感触だ。さっきまで崇高だった「作品を作る」という行為がなにか自分勝手な欲のようなものに変わった感じがする。

でも、仕事ばっかりしてると「あぁ、もう何年も作品作ってないけど大丈夫か?」という声が聞こえてくる。相変わらず、作品を作らないことは悪い事のような、なにかを失うような感覚になる。

アートってわけでもない

昔はどう思っていたか覚えてないが、今は自分がやらねばと思っていることは、アートでもないかもしれない。だけども、「作品を作りたい」というか、「作りたい」という感覚は常にある。「自分のを作りたい」だろう。

自分を表現すると言うほど、そういう作品を作ったこともないけど、なにか自分のテイストというかバランスみたいなものはあって、それを探求してるフシはある。

自分の場合はさらに複雑で

今まで書いたことはアートを志すようなモードを持ってる人に共通するような話だと思う。自分の場合は、エンジニアリングだったりデザインだったりアイデアだったり、そういうなにか違うようで違わないような別の分野の感覚も持ち合わせている。

たとえばエンジニアリングの中でも特にプログラミングとかだと新しい技術というか新しいフレームワークとかは知っておかねばという感覚はある。新しい書き方とかそういうのも実際に作業をしていないと学ぶ機会がない。勉強しないとそこは追いつけない。なので、やってないと「やべー、遅れてる」という追い立てられる感覚がある。

デザインの場合は、なんだろうか。デザインもトレンドというか、大きな流れみたいなものはあって、それを知っておかないと感覚がずれていくような気持ちになったりもする。普遍性を追い求めたいと思いつつも。

アイデアっていうのは筋肉みたいなもんだと思うから、鍛えておかないとだめになるような不安があったりする。アイデアを出すのは時々やらねばって思う。

薄れた

なんだろう。最近は、「作品作らねば」とか「遅れてる」とかそういう追い立てるような感情が消えてきた。いや消えてはないと思うけど、気にならなくなったんだろうか。耳が悪くなったみたいな感じなのかな。

経験を重ねたことでなにか自信のようなものはあって、自分というものも明確になっていく。まぁこれはジジイになったということかもしれないが、気分は悪くない。

で何を作るのか

一回りした。でも何かをつくる。仕事じゃなくても作りたいものは作りたい。仕事でも作りたいものは作りたい。

なんか焦った感覚がないなかでさらりと作るのは楽しい。これがものづくりかと知った気分。そういう気持ちをもっと味わいたいものだ。

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