豚足を食べる夜

 4人で坂を降りていく。
 足元気をつけて。だの、煮イカはどのあたりに売ってるんだろうか。など口々に喋りながら、ゆっくりと一歩一歩降りていく。
 バーン。というより、ドン。ドスン。
 音が町中に響く度、耳が痛いの怖いのと、背中を丸める180cmの背中とそれを繊細なふりしやがって。と嬉しそうに笑う、184cm。
 空にヒュルルと白い閃光が昇っていって、ぷつっと途切れ、わずかな静寂の後、火花がわっと花開く。子供達が群れになって、その景色を眺めながら、たまや。たまや。と連呼する。
 ちょっとした芝生に、折り畳み式の椅子を置いた老夫婦たち。お互いの声が届かない程よい距離をあけ、空を眺めている。まるでアメリカの牧場を舞台にしたSF映画かスリラー映画の始まりのような光景で、勝手にその架空の映画のタイトルのフォントまで、頭の中で準備してしまう。
 湖の周りで開催される花火大会の夜。
 早々に晩御飯を食べ終え、あんたたち4人で行って来なさいよ。と、誘うと面倒そうな顔をして顔の前で手をふりふりする両親と祖母に見送られて、散歩がてら、祭りの中心地まで行ってみることにした。
 ドン。パチパチパチパチ。
 ドスン。スルスルスルスル。
 緩やかな下り坂がずっと続いて、建物のあいだあいだ、見通しの良い場所や空き地には、ちょっとした人だかりが出来ていた。
 車の往来の少ない裏道で、ポツンポツンと人だかりの途絶える暗がりに、すうっと夜風が吹き抜けていくと、気持ちいいね。と姉が私を振り向いて言う。
 ペタペタ歩く私の足音が花火の音で一瞬消える。
 ペタペタペタ。自分の歩く振動で上下する視野から空を眺める。嬉しそうに笑っている兄が、また弟の花火の音に対する欧米風の反応を茶化している。すうっとまた風が吹き抜けて今度は独り言のように姉が涼しい。と口にする。
 誰から昔の話をし出したのか。
 地元で私たちの幼い頃に開催が始まった野外音楽イベントの話が始まる。
 ドン。パチパチパチパチ。
 斜め前を歩く姉は私行けなかった。仕事で。と言い、私が、行った。と言うと兄とその弟も俺たちも。と。
 あの時、初めて見たんだった。あの人達の事。と兄が話し始めると、薄ぼんやりとした私の記憶があの日の、すっかり晴れた暑い夏の青空の下にタイムスリップさせる。
 私の目当ての演者が出れなくなり、私は存分に落ち込んでいた。その為に母にたくさんの言い訳をしてこの日を待ったのに。彼女は急遽来れなくなったらしい。残念過ぎて、もう立ち上がる気力もないのだが、もしかしたら出てくるかもしれない。とステージから離れた、だけどステージが真ん中に見える芝生に座っていた。 
 どうも〜。とぞろぞろお揃いのツナギをきた5人組が出てくる。
 名前を言われても、知ったこっちゃない。それに私はあなた達が見たいんじゃない。と芝生に座ったまま、不貞腐れて、残念すぎる現状を飲み込めないでいると、少しして音楽が始まった。
 ぼんやりしていた私の耳にいい音楽が届いてしまって、すくりと立ち上がり、ステージ前のがらんと開けた芝生にドテドテドテと走って行く。
 教室の片隅でクスクス笑いながら面白い話をし続ける同級生の話をたまたま聞いてしまい、あまりの面白さに吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、初めてその人の名札を見るような、含み笑いが爆発寸前で、新しい予感に胸が騒ぐような。
 兄の声が思い出に重なり、今に戻る。
 え?あのステージ観てたの?すごかったよね。良かったよね。と兄がいう後ろで弟はまた、大きな音を立てて上がる花火にひぃ。と声を漏らしていた。
 降り切った坂の麓はキラキラと輝いていた。
 大きな真っ黒い渦のように、人が湖を取り囲むように歩いていて、あの中に入らないと、父が欲しがる煮イカは買えないね。と4人顔を見合わせて覚悟を決める。
 人の渦の両脇には様々な屋台が並んでいて、その前を通ってはここじゃない。ここじゃない。と花火を眺めながら、煮イカを探す。
 人混みの中、ずんずん歩き、途中途中はぐれそうになると、腕を大きく空まで伸ばして、なんとなくハンドサインを送ったりしながら、行き止まりまで歩いて行って、結局なくて方向転換して来た道をまた戻る。すれ違う人は、みんな嬉しそう。
 道を開けてください。道を開けてください。と警察官が拡張機を片手に前から歩いてくるのが見える。警察官と、担架を持った救急看護の人達が通り過ぎていく。道を開けるために束の間、立ち止まって空を見上げる。
 あれはイカ?と私が言うと姉と兄も空を見る。
 イカじゃないでしょ。え?イカ?イカ型の花火なんてある?としばらく空を眺める。
 やっぱりイカだよ。とんがってるもん。と私がまた言う。
 え?今イカあがるかね?どんなメッセージ?煮イカ買えてないの、責められてるじゃん。と私たちは笑いながら空を眺める。
 そろそろ終わるからとりあえず人混み抜けるぞ。という兄の号令に従って、渦の中を脱出する。
 ぞろぞろぞろ。ぞろぞろぞろ。
 ヒュルルルル。バーン。ヒュルルルル。バーン。
 来た道を戻りながら、大人が4人で出かけたのに、煮イカも買えずに帰るなんて。と姉が言って、怒られないかな?と続けた。
 怒る父の姿を想像してみたら、なんだか面白くなっちゃって、4人で、ふふふふふ。と笑いながら坂を登っていく。
 建物のあいだとあいだ。ちょっと立ち止まってみると、それまで景色だった花火が主役になって、目の前に表れる。さっきまでもきっとこんなに綺麗だった。
 話すことも忘れて花火を眺めていると、車来るよ。気をつけて。という兄の声と大丈夫だよ。もう。という姉の声。振り向くと少し離れたところで弟が、カメラを構えて花火の写真を撮っていた。
 花火の場所が少しずれる。帰り道の方向に合わせて見やすい場所に移動する。
 蟹歩き。蟹歩き。
 見つけた隙間からまた花火を見上げる。美しい風景画。夜空は自然が作るもので花火は人間が作り出したもの。刹那的できらびやかで繊細で、空の景色や風向きでも表情が変化する。
 空から降ってくる色とりどりの閃光を4人並んで眺める。
 騒ぐ兄と私と、もううるさいよ。と笑う姉と、離れたところから、月からも見えるんだろうか。みたいな詩的な事を呟いて、また兄にからかわれる弟。
 夜明けと間違うほど街を照らして、今年の花火大会が終わる。
 
 そういえば、この祭りには、父と母と妹と幼い頃によく来ていた。母お手製のお弁当を持って、芝生にシートを敷いて。みんなで空を眺めては、花火が終わらないで欲しいとその事ばっかり考えていた。
 新しい家族が私の前を歩いている。私の夫と、その兄とその妻が、今度は夫の服について、楽しげに話していた。
 いつからそんな服着るようになったんだ。と夫の兄が言うと、何着たって自由じゃんよ。全く。と妻が噛み付いて、夫がだけど、この服かっこい良くない?と質問を返している。コットン100%だから。とそこに私が加わって、ふふふふふ。ふふふふふ。と笑いながら、ぺたぺた歩く。
 この坂を登り切れば、そろそろ夫の実家が見えてくる。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?