好きになった人

  一目見た瞬間にこの人は運命の人なのだ。と確信した。
 まつげが長くて声が少し鼻にかかっていて、少し猫背気味で話すとのんびりしているのに、とても身体能力が高く、瞳が茶色く透き通っていた。髪型はどんぐりの頭上のところみたいで、髪質はサラサラしていそう。唇に手を当てるのが癖なのかそうしているところを何度か目撃した。
 真面目な顔をして、冗談をいうのだかいつも1回では聞こえない。声が小さいというよりも通らないのか伝わりづらいのか、うまく場に馴染まない。だから、全然、面白くない。しかしよく笑う。声を立ててというのでなくて静かにまりもみたいによく笑う。だから、なんだかこちらも可笑しな気持ちになる。
 五円玉の穴から覗くと遠くにいてもよく見えるらしい。という噂を初めて実行して眺めた相手がその人だった。
 裸眼でもはっきり見えたが、サッカーボールを蹴っていた。
 五円玉を介して見ると、その人の動きは少しだけゆっくりしたものになって印象深くなった。音が遠くなって、だけどその五円玉の中の音だけがはっきり耳に届いてくるような感覚がした。
 眺めていただけの人とサッカーしていた人。
 帰りの時間が被ったふりをして、駅の改札を抜けると、棒付きアイスを食べていたので、美味しそうだね。と話しかけてみる。
 あぁ。という具合に私を見て、一口食べる?と聞き、うん。と答えると、どうぞ。と言って一口あーんと。棒の部分を相手が持ったままアイスが口の前に運ばれてきた。全部が、スローモーションになって、食べようと思い口を開けた瞬間、少し後悔した。
 私の顎の力は、一回でぱくっとかみちぎれる程度だろうかとか、その時歯茎は血が出ない健康度合いを誇っているのかとか、唾液はこの場合の適当な量しか出ないだろうかとか。
 とにかく上手に食べようと、多分相当な寄り目でアイスを見ていただろう。何味だったのか、全く覚えていない。
 抱こうと思って溢れるものではなくて、勝手に溢れてしまうその感情で、毎日は驚くほど楽しく、その時点で、何かが叶っているような具合の日々であった。
 次のステップに進めるのではと、気持ちを伝えて、全部で4回突っぱねられているにも関わらず、私はとても楽しかったのだ。
 私の頭が作り出した幻かと疑うほど、よく知っているようで、幻よりも少しだけ想像を超えている姿形。見ると目がすぐに馴染むのに、まったく飽きが来ず、肌馴染みも良い感じがする。
 これが好きになる。というものであれば、その衝撃に私を遭遇させた人なのだった。
 とは言っても、4回突っぱね、流されもしない様子をみると、相手にとって私はなし中のなしだったのだろう。
 何かを呼び覚まそうとしている感覚が自分にあったように思う。
 伝えなければいけない何かがあるような、不思議な感覚に突き動かされていた。
 だけど、全部わかっているのだ。
 
 今、2人で朝方の駅にぽつんと座っている。
 終電を逃した飲み会の朝方、帰っていいよ。と言っても、待ってるからいい。とその人は言って、寒い。寒い。とどこかに消えた。
 しばらくして、姿をあらわしたその人は、右と左どっちがいい?と言った。
 右で。と答えると、その人はポケットから暖かいミルクティーを取り出して、あげる。と私の掌に乗せてくれた。
 あまりにも電車が来ないので、駅近の小さめの山にでも登ろうか。と酔いの覚めぬ頭で、駅を出て2人で並んで歩く。
 木々がざわざわと音を立てて、薄暗い上り坂に差し掛かると、前を歩く背中がねじれて、がざがざと背負っていたリュックを漁り始めた。あった。と言って、カチッと音がすると私の足元が明るくなる。気をつけてね。と声が降ってきて、リュックから取り出したものが懐中電灯だったと気が付いた。
 ちょっと弱いんだけど。
 
 なんで持ってるの?と聞く前に、心が吸い込まれてしまって、上がっている息が漏れないように、空気が壊れないように静かに坂道を登るだけにした。
 ゆっくりと太陽が登る。
 雑木林の間から、眩しいほどの光が降り注ぎ始めて、視界の少し開けた場所で、ちょっと待って。と声をかける。
 誰も目を覚ましていないような気がする街の景色の眺める顔面に、当たる日光が火傷しそうに熱い。
 ちょっと早いけど初日の出にしちゃうか。と私の方を見て、ふふ。とまりもみたいに静かに笑う。
 そうだね。と答えると前触れもなくがさがさと林の中に入って行ってなにか拾って戻ってくる。それを私の手に2、3個乗せる。
 それからどすどすと地面を踏みつけて、この方が成長しやすいんだと、ぼそっと言った。
 気持ちが宙に浮いてしまう。
 ここが頂上なのかな?というような頂上に着くと、遠くで始発が駅を離れていく音がした。
 さっきの景色のが綺麗だったなと考えながら、気持ちいいね。と口にする。
 この人は好きになった人にどんな風な態度をとるのだろう。と多分一生知ることのない、1番知りたいことを考えながら、自分の吐く白い息と、大晦日の朝の空を眺めていると、わっと背後で声がして、優しく両手で背中を押された。
 振り向くと、びっくりした?と嬉しそうにまた、ふふふふふ。とその人は笑っていた。
 私の手にはどんぐり。彼の靴底の裏にもどんぐり。
 拾って渡して、だけど、思いっきり踏みつける。
 
 

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