夢を見る。時々(2)

 小さな頃から本屋、図書館、美術館、博物館が好きだった。寺や神社の木彫りの装飾物などを見るのもとても好きだった。様々な国の民族衣装や各地の伝統的な祭りなどで使用される幻獣など、言い伝えに触れる事もとても好き。それらの場所や、ものを目にすると自由な気持ちになれた。それはどこかの別の世界の話で、人間の持つ想像力の魅力的な可視化物に感じられた。様々な未知に対する自分達なりの答えに畏怖があり、崇めるそれに美しさを見出している佇まいが何よりも素晴らしい。その人の目を借りてその人の技を借りて立ち現れる概念に触れると、なぜだが受け入れてもらえるようで、
とても安心した。耳をすますと心が静まりかえって、言葉が生まれる前にあった悦びのようなものが立ち上った。
 それはなぜだか、私の住む世界と地続きだとは到底思えなかった。透明なドアがどこかにあって、そこに吸い込まれてしまったら、私が消えるのだと思っていた。だけど心から魅了されていて、そこに住んでみたい。と思っていた。
 ここに居て欲しい。変わらないで欲しい。
 おそらくこの言葉が私の呪いだったのかもしれない。
 そう私に言った人は私の大切な人で、人生で切っても切り離せない人物。放った人物がどう思ったかは別として、私は自分が新しくなっていく事を許してはならず、その人物の想像の範囲に留まる事を自分の生き方にしなければならない。とどこかで雁字搦めになってしまっていたようだ。
 言葉は呪いだ。知らず知らずに行動を、心を、縛り付けてしまう。
 違うとどれだけ自分に説明しようにも、自分にはその枠を超える能力などないのだと説き伏せてしまう。そして無気力になる。
 それになんの意味があるの?と好きなものや大切なものを否定され続けると、世界を受け入れる事が難しくなる。入り口に立つその人が否定するものを大切にする私が、世界に受け入れられる訳がないと思ってしまうから。
 役立たずだと自分を思いたくない一心で、自分の大切な人の世界の一員になろうとしてみた。そうやって20代を過ごしたが、少しも楽しくなかった。続ければ楽しくなるのかと思ったが、心が違うとずっと叫んでいるだけだった。
 苦しくてもうダメだと思った時、パンデミックが起きた。私はパンデミックに助けられて、その生き方を辞めた。けれど、役立たずだと自分を思う気持ちはなくなる事がなかった。想像されている幸せがある。それから外れた私は、役立たずで出来損ない。そう思っていた。
 どうにかして役に立とうと思ったが、私の夫は、私に期待をする人ではなかった。一切の期待をされない生活に最初はとても驚いて、自分が透明になってしまったような気がしたが、彼は誰からも期待されないのに勝手に好きなことをして、それに文句を言われない為に、生活を整える事も同時にする人だった。自分の人生を生きることに責任を持った人なのか。と言語化出来た時、自立というありふれた言葉の意味が自分なりに少しだけ解釈出来た。
 私は明日で40歳になる。変わらずに生きることも、誰かに括られた幸せの概念に生きることもここまで頑張ってみて出来なかった。だけれど、大切な人を決して否定したいとは思わない。同じものを見て美しいと思い、楽しいと感じられたら良かったのに。と心の底から願ってきたが、それが叶わないのなら、自分の幸せを生きてその交わる部分が見つかる所を探すまでだ。
 私に頭の良い子になって欲しくて、大切な人は私をきっと、本屋だとかに連れて行ってくれていたのだと感じる。生きることが少しでも容易くなるように。
 私が笑顔だった事ときっとその人が笑顔であれる場所が重なっていたのが本屋だったのか。と感じた。
 私の全く記憶にない祖父がいる。彼の趣味は読書だったらしい。子供を縁側から庭に投げ飛ばすような人で、口論でちゃぶ台をひっくりかえす事もある人だったそうだ。穏やかな表情もありながら、コントロール出来ない自分の中にふつふつと湧き上がる苛立ちに耐えて精一杯生きていた人だと私は教えて貰うその人の面影から感じた。
 勝手な思い込みだけれど、出来ないと諦めたことをしてごらん。と彼が言っているような気がする。そうやって少しずつ良くしていってくれなけりゃ、耐えて生きた意味がないよ。と背中を押してくれているような気がする。
 もう残っているのは、そんな清々しいものだけなんじゃないか。と信じてみる。で、それを未来に繋げる事はとても素敵な事じゃないか?と思う。


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