夢を見る。時々(3)

 すごい。という言葉を封印することにした。私の口癖だ。それから〜だと思う。これも私の口癖。
 私はよく困るとすごいと言って、何かというと思っている。と言う。思ったり気が付いたりしたんだと、伝えるのがとても好きで、すごいと言われるのがみんな好きだと何かで読んでから、困るとすぐに口から出てくるようになった。
 思う事もすごいも逃げてないか?と立ち止まってみる。
 ちょっとしたニュアンスなんだけど、思う。と付けると、関わらないの線引き。線を引いてここから見てますと表明している感じがする。言い切ってない事で、思っただけだからと、自分に逃げ道を作っている様子。
 凄いは、言った瞬間に思考が停止している感じがする。凄いですね。って便利な言葉で、言っとけば、いたく感動してますよ。っ伝わってる雰囲気が出る。だけど、これは、言葉を持ち合わせてないだけで、なんかちょっと失礼なんじゃないか。
 昨日映画を観た後も、凄い。と言ってしまった。というか、凄いしか言えなかった。言葉を発そうとするとずずずずずと、本物が込み上げてしまって、押し寄せてくる感情の波に、体が耐えられなくて言葉にする事が一切できずに、ただ泣いた。グッと押し戻そうにもそれは何かを発しようとする私の声帯を震わせて涙腺をこじ開ける。つんとした痛みが体を貫いて、雷のように私を包んで、夏の暑さが遠のいた。
 私が大切にする世界に滞在する事を、いけない事だと感じ始めたのはいつだったろうか。
 そこへ行くと、いつも誰かが私を呼び戻す声がした。そんな事していたらいけないよ。っと。
 顔をあげると、好きな事をしなさいと言いながら、声の主は、あれはダメだの、これは良いだのと言うのだった。
 何とか順応しようとするだけの日々だ。明日こそはと眠りについて、目を覚ますと、昨日と同じ、欲しがってもない世界が広がっている。
 朝が来るたびに何度も何度もため息をついて、こんな世界無くなってしまえ。こんな世界ぶっ壊れてしまえ。もしくは私を消す方法はないか。と考えた。
 楽しいふりをして、充実しているように見える人間を見様見真似でコピーした。そんな事していたらいけないよ。と言う人は私が消える事も、悲しがる人なので、どうにか生きていた。
 ちょっとした節目の日の前日に、観る以外の選択肢が浮かばなくなって、観ることになったその映画は、借り物のように人生を生きる私に話しかけてきた。直接、胸の真ん中に伝えようとぐりぐりと頭をねじ込んでくる。そこにあるよね。まだ居るんだよね。と言う具合に、私をくすぐる。
 こじ開けられて内側が外側とひっくり返ってしまいそうだった。夢中になって話を聞いてると、自分が何を怖がっていたのかも、どうしてそれがいけないと自分を説き伏せていたのかもわからなくなって、もうひっくり返えれ。と心が決まって、嬉しくて笑って泣いた。
 これがある世界なのに、私はなぜ否定されなければいけなくて、私もなぜ世界を否定しなければならなかったの?と心底わからなくなった瞬間に、守ってくれていた外側が、元の場所に戻ってきた。
 怒りや忘却、諦めなんかが警備をやめて、久しぶりに家に帰ってきた感じ。
 すると様々な感情が目を覚ました。
 死ぬまでずっと寝ていなきゃ。と私は、絶望していた。
 こんなふうに目覚ましが鳴ったのはなんでだろう?
 とにかく、感情が目を覚まして、私は生きることにした。
 
 


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