職歴、学歴、現地の学位、現地の語学力4ないの僕がベルリンで就職ができた理由〜エピソード1

ツイッター界隈の皆さんこんにちは。Noteで見つけたあなたはこんばんは。
いつもくだらないことばかりツイートしているベルリンのスズキさんこと、スズキです(?)

ふとしたことから知り合いに、どうも僕の人生は面白すぎるので、シェアしたほうがいいと言われたので、以下の4つで投票をした結果、僕がなにも就活に役立つ実力がないのに、今でも現地企業で就職して働き続けていられる理由や、それまでに狙ったこと、がトップを取ったので書かせていただきます。

ちなみに候補と結果ははこんな感じでした:
1.ベルリンに来た偶然な理由/エピソード - 26.1%
2.学/職歴、現地学位/語学力4ないで就職するまで/狙った事 - 34.8%
3.イビサで謎のキラキラ自己啓発系団体の集会に参加した話 - 14.5%
4.マフィア(察して)の親分の誕生日でDJした話 - 24.6%

面白いなコイツと思ってくれた方は、ツイッターもフォローしていただくと、もれなく毎日どうでもいいことや、ツイッター界隈に生息する、狂人モンスターたちとのレスバや、たまにドイツのこととかがあなたのタイムラインを汚染していきます。

耐性の少ない方は、医師、薬剤師の指示にに従い、用法、用量を守らないスズキを注意深くミュートするか、ブロックしてしまいましょう。
子供には刺激が強すぎます。

さて、まずはじめに断っておくと、僕がたどってきた手段や結果が、誰にでも当てはまるとは思わないでください。
自分でも思いますが、この結果はもちろん運もありましたし、諦めの悪い性格しつこい性格、他人と比べても異常なまでの強メンタルなど、色々ありますが、まぁ普通の人がたどって同じ結果になるとは到底思えませんし、何度も「あれやっておけばよかった」「これやっておけばよかった」と、いわゆる「通常の最短ルート」の、やっておくべきことや手に入れておくべきことをすっ飛ばした人生を後悔していますので、それらが取れる人は迷わずそのルートを行くべきです。わざわざ遠回りしてアホな道をなぞる必要はありません。辞めましょう。

僕は1981年生まれ、現在42才です。もう立派なおじさんです。東京出身で、だいたいいわゆる城南あたりが地元エリアです。

まず学歴も大したことないのですが、ルーツから話します。
某カトリック系の私立の小学校に通っていたのですが、その学校には女子中学しか無く、男子は必然的に受験という選択肢がほとんどとなります。小学校4年位から、よく意味もわからず塾に通い(通わされ)、中学受験で強烈なプレッシャーをかけられ、入試前11月の時点で偏差値50切るくらいだったくせに、その後の2ヶ月でアホみたいに勉強したら、なぜか偏差値70超えの、某超有名学閥の中学校に合格してしまいました。
ちなみに多分これは偶然ではなく、受けた他の学校(同学閥1校、他は少し落ちて60台?よくわからない)全てにも合格しました。実は1校だけ落ちたのですが、そこは2科目(算数/国語)だけだったので落ちたんだと思います。

今もそうですが、昔から、本番で全く緊張しないタイプなので、それも功を奏したのではないでしょうか。ただ、そんなのが効くのも相手が子供な中学辺りまでで、数年後に大学受験でそんな能力じゃ越えられない壁を目の当たりにします(笑)
やるときゃやる、火事場のバカ力と、緊張というものを全く知らない厚顔無恥さは、DJでも役に立ってるんじゃないでしょうかね?

実は、先にネタばらしすると、この某学閥中学にはいった時点が、僕の学歴のピークだと思っています。そしていわゆる「学力」的な頭の良さも、多分ここがピークです(笑)

そこまでの僕はとにかくプレッシャー(負荷的な意味での)が掛かりすぎてて、これが終わったら開放される、その一心でした。それを、第一志望の、とある新設校の2期生としてスタートでき、希望に満ち溢れる新学園ライフ…のハズでした。

しかし、当時の僕は本気で割とこう思っていました

「これで開放される…終わったんだ!」

大人の皆さんはもうおわかりだと思いますが、そんなわけはないんですよね。実際ここはそのまま行けば大学まで行けるので、ある意味終わり、ってのは正解なんですが、当時の僕は気が緩みまくってナメきっていました。遊ぶことしか考えてなかったし(まぁ、後にもっと遊ぶんですが)。

色々問題行動はあったのですが、細かくはよく覚えていないですが(笑)、そこまでめちゃくちゃ勉強が難しかった記憶はないです。ただ、多少難しかったのと、話を聞いていない、期日までにやらない、尋常じゃない眠気でどうしても授業中に寝てしまう(これは今思うとナルコレプシーだったかも。脳波測ってこいとか言われて病院行ったりした。リタリンとか処方されてれば違ったのかもw)、とか、そういうのもあり、おそらく記憶がある限りほぼ期末には親が呼び出されていました(笑)

そんなこんなもあり、中二も後半になってくると、ティーン男子、色気出し始めてみたり、グレてみたりとか、悪いことを始めます。

もともと成績悪めというか態度がわるいやつが、そんなことをすれば目をつけられるというのは自明の理。

ただ、この学校の素晴らしい点は、「校則がない」というのがありました。実際、僕はそれを素晴らしいと思っていたのが第一志望にした一つの理由でもありました。

…と思っていたのですが。

新設校で、学閥内での実績がほしいのか、なんなのか、今でもよくわかりませんが、教師陣は、自分の気に食わないスタイルを、暗黙の了解という謎ルールで縛るという最低の行動に出ます。

例えば、これくらいになるとピアスの1つや2つでもしたくなる年頃で、実際僕みたいな不良落ちこぼれじゃなくても、し始める人はいました。で、いろいろこれも問題になったのですが、最終的な決着はなぜか

「女子は(あまり派手じゃなければ)オッケー、男子は透明ピアスを学校ではしておくこと」

という、今だったら色々問題になりそうな謎の暗黙ルールに落ち着きました。とはいえ、同級生の女子が直系5センチかそれ以上はある、大きな輪っかつけてんの見ましたけどね…もやもやしますね。

さらに年が進んで中3。1995年。ナイリナリファーイブ!
世の中はヒップホップブーム。
中学3年生にしては早めにしっかりグレた僕は、当時仲間と一緒にヒップホップにハマり、いわゆるジャパニーズヒップホップ第一次ブームで、さんぴんキャンプに行ったりしてました。DJ始めたのもこの頃です。

でまぁ、色々な問題行動はさておき、ある日、頑張って貯めた、小遣いとお年玉大枚はたいてドレッドヘアにしたのです。

この行動に、僕は全く疑問を持っていませんでしたが、周りはおおー、スゲー、ってなってました。当然先生も黙っているわけがありませんね。

「おおー、スズキ、お前スゲーな、イルだな!メーン!」

なんていってくれる先生がいれば、僕ののちの人生も違ったのでしょうが、とりあえず即問題になりました。遠方なのに、もう呼ばれ慣れてる僕の母親も呼び出され、校長面接に(笑)

「スズキくん。うちの学校としては、〇〇の生徒として、ふさわしい身なりをしてもらわないと困る。」

僕の主張は一貫しています。

「先生、あなた方の言っていることはおかしい。間違っている。
先生の主張は理解します。それは正しいとも思います。しかし、それを主張するのであれば、それはルールとして、しっかり記載するべきではないですか?そして、先にいうべきではないですか?

僕は、この学校の校則がないという点にすごく惹かれて、受験勉強を頑張って入学しました。ですので、その点は、先生方にも尊重していただきたいです。

あなた方が、僕の身なりが問題である、と思うのは理解しました。それはあなた達の感性ですので、尊重します。しかし、そう思うのであれば、そしてそれで縛ろうとするのであれば、なぜそれを明文化しないのですか?」

今だったら、法の不遡及の原則ってご存知ですか?  とか、それってあなたの感想ですよね?とか、もっと言いまくって、きっとぶん殴られていたと思います(笑)

先生の答えは

「うむ…キミの言いたいことはわかる。だがね、〇〇の生徒として、どこにでても恥ずかしくないy(以下略」

で堂々巡りです。多分1時間くらい話していましたが、なんかよくわからない着地点で終わったのを覚えています。

さて。これで終わったのでしょうか? いいえ、終わりませんでした。

校長室を出ると、そこにはゴツい体育教師主任が。

「おいスズキ。お母さんを見送ったら後でこっちへ来い」

体育教官室に入ると、ドアを閉められ、ほぼ軟禁状態(…犯罪じゃね?)で、

「明日、切ってくるんだよな?」
「イヤです。理由がありません。」
「明日、切るよな?」
「なんでですか? 明確な理由をください。校長は結局ダメとは言わなかったでしょう?」
「いいから切ってこい。悪いことは言わないから。」
「イヤです。」
「切ってk(以下略」

という感じで、これは3時間位やってました。マジです。

まぁ、結果、このあと家に帰ったら母親に泣かれたんで、切ったのですけど、きっと今だったら、速攻ツイッターアカウント作って、ガレソあたりにもタレこんで、バズらせクラウドファンディングとかやっちゃって、裁判してたと思います。

悲しいかな、当時はそういうツールもなければ、学校相手に裁判を起こす人もほぼ皆無だったので、僕は泣き寝入りです。

さようなら、僕の虎の子の3万円(ドレッド代)

ちなみに、このことは今でも全然納得がいっていなく、正直言って根に持っています。

あんまりグズグズ根に持つ性分じゃないのですが、はっきり言って全く納得いってないし、たぶんこの辺の先生にあったら今でもいいそうな気がします。

学校辞めてから二度とあってないんで、言ったことはないですけど。

このときの校長はもうさすがに年で死んだかと思ったら、最近調べたら、学閥出て、なんかどっかの別の新しい学校の校長になってました。

でもそれもなんか古そうな情報なので、193X年生まれだしさすがにもうくたばった気もします。

あの世でドレッドの毛しか生えてこない地獄にハマってたらいいのに。

そんな態度/素行の悪さもあったり、微妙な成績の悪さ、そして先生方にたいそう嫌われていたなどの色々な理由が重なり、日本では珍しい、中学3年生で留年するという羽目に陥りました。中高一貫校だったので、同級生たちはそばにいるし通学も一緒だったのですが、もう一回3年生をやったことは事実です(笑)

そして、2度目の3年生は、まぁどうにかギリギリを保っていたのですが、そのままで終わるわけがありません。

通常、2度めでアウトな人は、12月くらいに呼び出され、さようなら宣言をされるのですが、僕はよく覚えていないですが、ちょうど今頃、2月か3月頭の、受験もほぼ終わりな頃に放校宣言をされたので、もはや受験できる高校もほぼ無く、夜間学部のみ! みたいな状態になりました。
今思うと、生徒の人生とか全く考えてない、ひどい連中ですよね。そんなんだから、訳解んない自己ルールとか運用しちゃうんだと思います。

もしかしたら、ドレッド事件もこの2回目の年だったからかも知れません。これはよく覚えてないですが、まぁ、遅かれ早かれ、この学校とはきっと縁がなかったのでしょう。

この学校に行って、大学まで卒業してれば、日本でもいわゆる大企業とか、様々な可能性があったとは思いますが、辞めたことはちょっと悔いがあったことはありましたが、後悔はしていません。
なぜかというと、自分をそこまで曲げてまで、僕は生きていけないと思うからです。

今でこそ「おとなになる」感じで賢い選択を取れることもありますが、当時の僕にはまず不可能でしょう。だって、今でも無理なんですから。

「間違っていることは間違っている」といって引かないのは、基本的には今でも同じです。筋が通ってないことには一切納得がいきません。
もうこれは性格なのでしょうがないです。ある程度オトナになったので、多少はうまく折り合いつけることが出来るようになりましたが…

あのまま行っていれば、ツイッターでももっとドヤり属性最強の、キラキラビジネスアカウントになっていたかも知れませんが、別にそんな人生に興味はないので、全然後悔していないです。

なぜなら、あれを選んでいたら今の僕はここにはいないからです。

さて、長くなりましたんでここで一旦締めたいと思います。

次回、高校に上がれずを3月に放校されたスズキ、 この先の人生はどうなる?
人生で、一番、文字通り腐るほど時間のあった青春時代の90年代後半、20歳になるまで! の巻です。おたのしみに。


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