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わたしの常識ってみんなとズレてるの?と思った話

常識と一口にいっても、いろいろあります。

誰もが「そうだ、そのとおりだ」とうなづくものから、「それって常識なの?」と首をかしげるものまで。

先日、自分の常識が揺らぐ経験をしました。

日本に帰国中のある日のことです。

子どもたちと友人とわたしの4人で、お昼どきに街を徘徊していました。全員暑さでうなだれていて、空腹と疲れを併せたトリプルパンチをくらってふらふらでした。ちびっこ2人は、歩くたびにどんよりとした息を吐き出していました。

早くなんとかせねばという思いで、「もうここでええわ」と半ば投げやりに、お蕎麦屋さんの暖簾をくぐりました。

こじんまりとしたお店でした。4人がけのテーブルが2つに、カウンター席が5つほど。わたしたちが引き戸の入り口をガラガラと開けて中に入ると、カウンター席の内側にいたお店の方たちが、一斉にばっとわたしたちの方へ顔を向けました。そして、ちょっとドスのきいた低めの声で、「いらっしゃいぃー」といいました。

あ、濃い空間に来てしまったな、と思いました。

とりあえずテーブル席に座ります。椅子もこじんまりとしていて、4人で座ったら、互いに触れあいそうなほどきちきちです。

荷物を置く場所が見当たらなかったので、テーブルの裏側や下をのぞきこみました。ほぼ無意識に、手に持っていた日傘をテーブルに置きました。

その途端、奥から大将の声が飛んできました。

テーブルに日傘なんか置いたらあかん!

自分のことを言われているとわかるまでに若干のタイムラグがありました。あ、わたしに言ってるのかと気付いて、さっと日傘を手に掴みました。

そんなことも知らんのか。そんなん常識や!

背後から、またもや追い打ちがかかります。たった数秒前にわたしの世界に現れたこの男性に、いきなり𠮟りつけられています。なんなんだこの展開は。

「ごめん、ごめん」

わたしは、自分の心とバランスを取りながら、努めて軽いニュアンスで謝りました。近くに立っていた店員さんが、ちょっと申し訳なさそうに近づいてきて、荷物は壁のフックにかけてくれと言いました。

一緒にいた友達が、声を潜めて、

「なあ、ここ出ようや。ここで食べんでもいいやん」

と囁きました。声に苛立ちのトーンが含まれています。

わたしも、愉快な気持ちではありませんでしたが、いまここを去るのもためらわれました。空腹の子ども2人を引き連れて、またあの溶かされそうな夏日の下で、別の食べる場所を探し歩く図を思い浮かべて、うんざりしたのです。

「いや、もうここで食べよう」

わたしはきっぱりと言いました。

さっきの大将とのやりとりからくる感情の揺れはすぐに収まり、わたしの頭の中では、

大将のいうソレは、本当に常識なのか?

という疑問がむくむくと膨れ上がっていました。

恥を恐れずにいうと、日傘をテーブルに置いてはいけないという感覚は、わたしには全くありませんでした。テーブルを清潔に保つという理由を突き付けられたら、ああそうかとは思います。でも、日傘ってテーブルを汚してしまうほど汚いものなの?

わたしの感覚がおかしいのでしょうか。確かに、大人になってからの人生の半分以上を海外で過ごしてきたので、日本人の常識からは少しズレているかもしれません。正直、ちょっと自信がないです。

日傘を置くなんてこととは比較にならないくらい、もっともっと不衛生な環境でものを食べてきて、たいしてお腹も壊さずに生き延びてきました。

わたしは、この問題がどうにも気になってしまった。そこで、わたしは、この日傘問題について、周囲に聞き取り調査を実施しました。我ながら小規模な調査です。結果がこちら。

【常識である派】4人
・「そんなの当たり前」(70代男性)
・「そらそうやろ」(70代女性)
・「言っていることはわかる」(40代女性)
・「そうやなあ…」(40代女性)

【常識ではない派】3人
・「そんな常識はない」(40代男性)
・「聞いたことない」(30代女性)
・「考えたことがない」(年齢不詳、男性)

わたし調べ

ここにわたし自身を加えると、【常識ではない派】が4人となり、両者が拮抗します。ええ、そうですね。もう少しサンプルがほしいところです。

現時点の情報だけをもとに考えると、

年齢が高いほど、常識として認識される傾向がある

という仮説が立てられそうです。世代間に、多少の意識の違いがありそうな気がします。20代やもっと若い世代の声も聞いてみたいです。この調査は、もう少し続けてみるつもりです。

ちなみに、「そんなの当たり前」といった【常識である派】の男性は、うちの父です。一方、「そんな常識はない」と言い切った【常識ではない派】の男性は、うちの兄です。親の常識が、子に全く受け継がれていないという。同じ屋根の下で、20年も一緒に暮らしても、なにもかもが同じ認識になるわけではないんですよね。当たり前ですけど。

いずれにしても、一定の「常識」として認識されていることは理解しました。郷に入っては郷に従えといいます。今後、飲食店に入るときは気をつけます。

いや、「郷」というか、わたしのホームタウンのはずなんですけどね。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
毎日投稿を始めて、今日で100日目になりました。

《日本を離れると少しずつ自分が変わっていくような気がします》

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