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赤信号みんなで渡れば怖くない

「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉を流行らせたのは、ビートたけし氏だったが、大手一流企業の研修講師を仕事とする私や、私の同業者、そして前線で戦う企業内リアルエリートの方々がこんなことをつぶやく、「日本のエリート層も結構まずいことになってるよね〜」。

大手一流企業の社員は、一流大学卒、年収が高い、頭も良い、常識がある、ステータスが高い、福利厚生が良い、終身雇用(これはかなり怪しい)、会社に秩序がある、会社に変な人がほぼいない、などかなり特殊な環境で生きている。
もちろんそんな人ばかりではないと言う前提だが、そのことも影響し、大胆な改革とか、ルールの変更とかは自分たちにとっては好ましい方向ではない。
できればこのまま定年までこの居心地の良い環境が継続してほしいのである。そして明確な根拠があるわけではないのであるが、これがこれから10年も20年も続くと信じたいあるいは信じている様子が垣間見れる。

まさにこのブログを書いている最中に経団連前会長の中西宏明氏の訃報が飛び込んできた。中西氏は、「正直言って経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです。」などのタブーに切り込む発言で周囲を驚かせた侍である。
心よりご冥福をお祈りする。

どんな国でも、メディアの発信の仕方には、かなりバイアスがあり、コントロールされている事は間違いない。それは、パワーのある組織や人が、自分の都合の良いように情報をコントロール することをお金や政治力を使ってできるからである。

ただ、日本の場合は、英語さえできれば、ほぼ世界中の情報をスクリーニングされずに手に入れることができる。しかし、日本のエリート層は、BBCのニュースを聞いたり、ウォールストリートジャーナルやフィナンシャルタイムスを英語で読むほどの英語力はほぼないので.情報はテレビや日経・朝日といったところがメインである。
そこには情報操作や忖度が入っている(もちろんそれは日本のメディアに限ったことではないが)。

また、テレビや新聞等は、やはり視聴率や購読部数を増やすために、日本を賞賛する類のものがどうしても多くなる側面がある。
人間と言うものは、自分自身を不愉快にさせる、あるいは不安にさせる情報と言うものは避けたいものである。だからどうしても、日本や日本人にとって不都合な現実について目を背ける。

戦後の高度経済成長期に関して言えば、国民は米国と言う圧倒的な戦力と物資を持つ国と開戦する無謀さを知らされずに、日本は戦争に負けないというビリーフが崩れ、ゼロからの復興という現実が現れた。

私は1955年生まれであるから、その渦中で子供時代を過ごしたので、いわゆる焼け跡派の人たちの人生観やリアルな現場は実体験がない。私が高校生の頃は、野坂昭之氏や五木寛之氏が書いた本からその様子を垣間見ただけである。

記憶は定かではないが、確か五木寛之氏のエッセイの中にこんな記述があった。
「今の若い人は食堂で出されたものにゴキブリが入っていると文句を言って食べないが、我々の世代はただ黙ってそのゴキブリを退けて食べる。」
今の若い人にそんなことを言えば、「不潔〜」と一蹴されてしまうが、それだけ食べ物さえにも困っていた時代を生き抜いた人たちがその世代なのだ。

今日本に課された課題は、食べるものに困るどころか「欲しいものがない」ことだ。欲しいものがない、ミニマリズムはGDPを押し上げるには、逆の方向だ。
もちろん貧困層も拡大しているし、格差の問題は日に日に厳しくなってきている。ただ購買力のある層に関しては、物欲が減退してきているのは確かだ。

戦後の米国は、日本を自由主義民主主義陣営としてキープするために、かつ再び日本を軍事大国にしないために新しい日本国憲法を制定し、遵守するように縛りをかけた。日本は核の傘に入り、軍備費をそれほどかけずに、経済の復興に一直線だった。ドルベースで言えば、1ドル360円の日本人の人件費は、その勤勉さとパフォーマンスの高さ、最後まで米国と戦うだけの技術力からすれば格安であり、夜9時まで残業し、その後自腹で居酒屋に繰り出し、まだ仕事の話をしているという他国から見ればありえない特性が日本を経済大国に押し上げた。人口ボーナスもあり、エコノミックアニマルと揶揄されながらも、日本は瞬く間にGDPで世界2位まで上り詰め、経済大国として君臨した。

そしてその独特の世界を経験した世代が団塊の世代から今の60代以上であり、いわゆる企業のデシジョンメーカーである。その次の世代の50代から30代は、この人たちを上司としてサラリーマン・サラリーウーマンを生きているのだ。

60代以上は逃げ切り世代であり、今更改革などして、自分の退職金や年金が減額されたらたまったものではない。30代から50代は住宅ローンと子供の教育費で守りに入っているから、やらなければならない事はやるがそれ以上はやらない。

話がだいぶ飛んでしまったが、冒頭の「日本のエリート層は危ないよね」に戻ると、その本質は「優秀な人たちが過度に守られることにより牙を抜かれ、同質の価値観を好み、異質をできるだけ避け、日々目の前で起きることに対応することに必死で、世界で何が起きているのか、日本の10年後20年後がどうなっているのか、そのことが自分にどういう影響与えるのか」について真剣に考えない、あるいは考えてもしょうがないというあきらめの中で生きていることが危ないのではないか、と言うニュアンスである。

「同質性の怖さ」はここにある。とても優秀で真面目で実直でハードワーカーで良き家庭人の仲間たちがそれほど将来について気にしていないのであるから、職場のストレスはあるが、ほぼ快適で安定した人生をエンジョイするうちに、「まぁ大丈夫なんじゃないの」的な感覚を持ってしまうのである。

これが「赤信号みんなで渡れば怖くない」なのだ。

こんな組織、人材ほどディスラプター(破壊者)にとっておいしいターゲットはない。

昨今の世界トップビジネススクールにおけるキーワードは「Disrupt or be disrupted(破壊するか破壊されるか」である。

写真は2018年に出張で行ったヤンゴンのNLD(国民民主連盟)。まさか数年後にミャンマーでクーデターが勃発するとは夢にも思わなかった。

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