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忘れかけていた「純粋さ」という能力

布留川勝

あけましておめでとうございます。年末はどのように過ごされましたでしょうか?

私は毎年抱負を考えたりはしないのですが、今年はなぜか、そんな気持ちになり5つの抱負を考えました。

1)  仕事で新境地を開く
2) バイク安全運転(近場温泉巡り)
3) 週3日スイミング
4) 下北・三茶 裏道&LiveHouse巡り
5 ) 料理を真面目に学ぶ

さて、昨年はパーソナル・グローバリゼーション(主体的・自律的に自分を日本でもグローバルでも魅力的な人にする)について、より具体的に解説する試みをこのブログで始めました。

そして、年末には、セルフエンパワーメントの具体的な高め方について書き進め、まず、第一番目として、「自分が心から尊敬する人物から学ぶ」について述べました。

前回私が取り上げた矢沢永吉さんのライブで、自分を奮い立たせていた2人の高齢の紳士の特筆すべき能力は、「純粋さ」なのです。

このおふたりは、2時間のライブを心から楽しみ、翌年の自分の生き方に「矢沢永吉」を吹き込んだのです。
この2時間で確実に「セルフエンパワーメント」が増幅されました。

そのことに私は少しショックを受けて反省しました。
なぜなら、現場にいた私は、「傍観者」だったからです。

多くの同世代の観客の熱狂に驚き、この状態を日本の閉塞感のある社会状況が関係しているのではないかと考えたり、永ちゃんのカリスマ性の源泉は何かなどと仕事目線でその場にいたのです。

私には、子供の頃のような純粋さが失われつつあると感じました。
物事を分析的に考えたり、メタ認知を使って自分を客観的に見ようとしたり、人生の中に、妙に難しさを持ち込みすぎているのかもしれません。
もちろん、仕事柄、そのような思考習慣は必要なのですが、あまりにも緩急をつけないでいる自分が見えてきました。
せっかくのライブなのですから、もっと単純に、永ちゃんの歌と言葉、そして生き方に感動すればよかったのです。

純粋さこそが、「自分が心から尊敬する人物から学ぶ」の原点であり、私の失うべきではない能力の1つだという事に私は気づいたのです。

そして、私の頭に浮かんできたのは、孔子の言葉でした

「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。」

わかりやすく口語で言えば、

「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。」

この時代と現在は寿命が違いますが、「60歳で、人の言葉に素直に耳を傾けることができるようになる」とは、すなわち「素直に、耳を傾ける=純粋さ」につながり、まさに温故知新。
2500年前に生きた孔子の教えに、どんなに科学が発達し、人々の価値観が変わったとしても、人間の本質は変わらないことを実感しました。

セルフエンパワーメントに関しては、まだまだお伝えしたいことがありますので、次回またシェアさせていただきたいと思います。

写真は、私が「学生時代に戻れる」バイクで、年末に真鶴の海を見に行った時のもの。

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