円生はもう生きてない

おぅ知ってるか?そうだよなぁあの・・・
この点点々には、話し相手が生まれる前のがいい、そう、セピア色の写真や質の悪いこと録音しか残ってないくらいだと、ざまぁっていう感じ、でも本人が偉い訳じゃない
円生が亡くなった日、NHKラジオから流れた小別れってのがある、ラジカセってのがあって慌ててとった、何回も何回も聞いた
いろんな小別れを聞いたけど、あれを超えるものを聞い事が無い、おかみさんが、うなぎ屋に来て、亀坊を呼び出す、亀や、亀や、なんだねぇ、知らないおじさんにご馳走になるって、そこでドドッとうける、なんのことは無い、とっくに知ってるから
折角、近くに来たのに、まだ生きていたのに、やっと金を貯めて、確か三越名人会だつたか、初めて生を聞きに行った、知らないってのは、哀しいもので、耳で文楽、志ん生、円生を知ってるから、本当に物足りなかった
そのうち、鈴本、末広などに行ったけど、なかなかいいのに当たらない、あの小さんの孫の、ほれ、なんつったっけ、花緑ってのがさ、真打昇進のとき、良かったねぇ
96年らしい、久々の末広亭だった
下手な小さんが会長になって、真打をいっぱい作るもんだから、昨日まで会長だった円生が怒って出てった、だから普通の寄席には、出られない、詳しい友だちもいなかったから、生を聞けないままに亡くなってしまった、79年9月
ああすれ違いだなぁ、いつまでも生きていると思って油断するとこうなる

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