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生きる意味

明の永楽帝の時代、鄭和が都合7回東南アジア諸国、インドそしてアラビア海、ペルシャ湾、紅海まで、60〜70隻、2万人以上の大使節団を送り出し、朝貢を促し、莫大な返礼により国庫が傾いたとか、同行した漢人のしっかりした記録も残っている
大船団は、アラビアの航海術、鄭和本人も先祖はペルシャ系の方らしい
読んでる時はそれなりに分かった気になるのだけど、2〜3日で早くもおぼろげな記憶、うーむ、何のために読んでるのか、いや、スマナサーラさん?養老先生?結果を求めては、いけないらしい、生殖年齢を過ぎると生きている意味は、他人への貢献だけらしい、武田邦彦先生だったかなぁ

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