ハッピーエンドをお望みかい?

残念ながら、という言葉は。適切じゃないなと、思いたかった。
「……くっそ」
燃料のメーターが、視界に入るたび、喉の奥から熱が染みる。
焦って進むべきじゃない。
噛み締めた歯が、じわりと軋む。
わかってる、考えなければならない。
この世のどこかにある落とし物を、曖昧な感覚で探さなければならないのだ。
「……苦しいなぁ」
戻って燃料を補給すれば、また同じ距離だけ探せるだろうな。
ただ、その距離に居なかったら、そんなことをしてる時間分、船は離れて行く。
正直、もう何が正しいのか、判断できない。
このまま、進むべきか。引き返すべきか。
進むにしても、道なんていう、決められたものが無いのだ。
どの方向に向かうか、選択が発生する。
「……引力の流れを読むべきか」
多少は、潮流の様なものが宇宙にも存在する。
それを上手く読む事が、昔の航海士に求められていた必須スキルだった。
そう……だった、のだ。
現在では、そんなこと、知らなくても機械がやってくれる。
行きたい所へ行くには、ナビゲートシステムに座標を入力すれば良いだけ。
だから、潮を読むなんてことは、出来なくて良いのだ。
「……ほんと、何もできないんだから」
エンジンを停止させ、無駄なエネルギーを抑える。
薄暗くなった船内で、コックピットの座席に体を投げ出す。
「……どうしよう」
きっと、こんな呟きは、彼女のそれより、まだ切実じゃないはずだ。
「……どうしよう」
だから、ダメだ。
こんなことで、この程度の苦しみで。
「…………どう、しよう」
ダメだ。ダメだ、ダメだダメだダメだ。
ダメだ。
もう、ダメだ。
同じだ。でも、違う。
私には、私の苦しみがあって。
それは、誰のものでも無いから。
くるしい。つらい。こわい。
そう思うのは、どうしようもなくて。
「……しにたくないなぁ」
こぼれる言葉は、聞きたくも無い内容なのに。
口にしないと、動けなくなってしまいそうで。
とても、怖かった。


大きな音がした。
「うわぁっ!」
飛び起きると、警報が鳴り響き、真っ赤な色のランプが、ビカビカと明滅している。
慌てて辺りを見回すと、バラバラと何かの破片や小物が、どこかへ吸い込まれて行くのが見えた。
「な、なに?」
グンッ、と体が引っ張られる感覚。
自分も、強い力で他の物と同じように、どこかへ吸い込まれて行く。
「えっ、待って、ちょっと!」
壁の取手をとっさに掴み、引力に抗う。
何が起こっているのか、まったくわからない。
引っ張られる方を恐る恐る向くと、恐ろしい光景がそこにはあった。
「嘘……」
船体に大きな穴が空いている。
真っ黒な宇宙空間へ、船内の物が吸い込まれて消えて行く。
「い、嫌……そんなことって……」
穴が徐々に広がり、自分の足も見えなくなる。
そんなこと、あって良いのか。
こんなに、頑張ったのに。
こんなに、乗り越えたのに。
こんなに、足掻いたのに。
どうして、こんなこと……。
「どうして……なんで、私だけ!」
ひどい。
せっかく、諦めたことも思い出さなくなってきたのに。
せめてもの幸せくらいで、我慢しようと笑えるようになったのに。
ちょっとくらい、自分が好きになれるかと思ったのに。
「いやだ……こんな……!」
手が、離れてしまった。
「いやぁぁぁぁあ!」
そこで、目が覚めた。
荒い呼吸、パニックから抜け出せない脳。
現実と夢の区別がつかず、体が動かせない。
心臓の鳴る音を聞きながら、少しずつ、息を整えていく。
「…………なんだ」
夢だ。
「…………なぁん、だぁ」
そう、こわい夢だったんだ。
「…………ははっ」
生きてる。
「…………生きてるよ、私」
生きてる。まだ、生きている。
こんな暗闇で。
こんな現実で。
こんな状況で。
「生きてる……あはは……生きてるっ」
まだ、しんでない。
それだけ。
「生きてる、生きてるぅ……なんで……生きてるの」
生きてる。生きてる、生きてる、生きてる!
「生きてる……生きて、る」
どうしようもなく。
ただ、何もできないから。
私は、生きてる。


どれくらい、時間が経ったのだろう。
目を覚ますように、ゆっくりと目蓋を開く。
寝てはいなかった、はずだ。
ぼうっと、暗闇に慣れた目で、外の世界を見つめる。
星々の小さな輝きたちが、とても綺麗だ。
落ち着いた、というか、落ち込んだ、というか。
何にせよ、景色を楽しむ余地は生まれたようだ。
「……きらきら星」
馬鹿みたいに捻りの無い、誰かのラジオネームを思い出す。
彼女の声を、随分と長く、聴いていない気がする。
あれから、どれだけ経ったのか、とか。
全然、数えたく無い。
「…………残念ながら」
ハッピーもラッキーも、こちらの積荷にも積まれていなかったのでした。
なんて、そんなひどい終わり方をしてしまいそうだ。
「……頑張った、かな」
そう。考えれば考える程、たぶん、やめにできる理由が出てくるのだろう。
励ましも、労りも、慰めも。
湯水のごとく、自分自身に浴びせられると思う。
だけど。
「……それは、お風呂の代わりにはならない」
決めているのだ。
シャワーなんかじゃなくて。
湯船に浸からせてやる、と。
私を。彼女を。
「……約束、したんだ」
他でもない。自分自身と。
何ひとつ、伝えられない彼女へ。
何ひとつ、伝えられない自分が。
「……あれ?」
そこで、当たり前のことに気付いた。
風景が、ゆっくりとだが、動いている。
「そうか……引力に流されて」
もしかすると。そんな単純なことじゃないかもしれないけれど。
いま、流されている方向へ進めば、辿り着けるかもしれない。
「……ねぇ、怖がりな私」
機体の照明が灯る。
止まっていたエンジンが、ゆっくりと稼働していく。
この先に進むということは、どういうことなのか。
私には、
「……ハッピーエンドを、お望みかい?」
何もわからない、ことにした。

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