見出し画像

TOKYOてふてふ めありらすと "Nil∴"

インターネットで"死にたい"と検索すると出てくる「こころの健康なんたら」という相談ダイアル、お電話をかけてみたことはありませんが、誰かが救われているといいなと思います。最近の私GESSHI類は、ある作品たちに向き合っている最中になります。そのアーティストが複数になると、途端に気が触れます。どういう事かと言うと、同一アーティストの、例えばアルバムなどを制作している時は、そのアーティストに向き合って、それだけ考えて制作することが出来る。けれど、他アーティストの案件まで入ってくると、心をどんな風に保てばいいのかわからなくなるんですね…

そう言う時にどうなるかと言うと、症状の一つとして、無駄にテキストを書き始めたりします。代替行動なんでしょうか(そんな言葉あるんですかね)?わかりませんが、音楽、楽曲、と向き合うのを出来る限り避ける為、何か他のことをしたくなるわけです。それから、禁断症状として身の回りの掃除を始めます。掃除と言うか、整頓と言うか。普段何も気にしないのに、歌詞を書くということに追われているときは、机の上に置かれている持ち物を角度まで正して、髪の毛などが落ちていないかどうかをチェックし、目に見える書類の順番を整理し、その上で目に入る情報を遮断していきます。例えば、書類なんてそうだし、商品のパッケージに書かれている文字なども「こっちを見ている」と意味不明な感度を発揮し始めるのです。OCDかなと思うほど。だからそれを隠し始めます。で、それをあらかたやったのち、もう何もすることが出来ないってなって、ようやく楽曲と真正面から向き合うことが出来ます、病気っぽいですね。

今日はTOKYOてふてふ SOLO WORKS "IIIIly"から、めありらすとソロ曲M4"Nil∴"について。

書かないわけにはいかない。書きたくない訳ではなくて、向き合うのが辛いだけ。こんな感覚を持ったまま、ここ最近は制作などをしていましたが、いよいよその時が来たようです。

もう早速と言うか、この記事自体はセンシティブな内容です過ぎて、すぐすぐ読みたい人のみ読んでくださいスタイルです。今この段落を書いている私は笑いながらですが、この先はそう出来ないし、心の中の何かと向き合いながらただ書くだけになるので、何の配慮も出来ないと思います。ですので、読むのであれば、ある種の覚悟だけはしてほしいかなと思います。あくまでもこの話は私から見た個人的見解のお話ですが。

ここから先は

4,002字 / 2画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?