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所詮「ごっこ遊び」に過ぎないのだからみんな無理しないで「最高の趣味」にしようじゃないか

お世話になっております。ゲソ山です。
私のnoteなんて基本よっぽどじゃなければ人は読まないと思いますし、今回に限っては読んで欲しい人こそ読まないものとなるかと思いますが、2021年の総括として一つ思うとこを好きに書き連ねようかと思います。
いうなれば「おきもちnote」ですね。
物知らぬおじさんの戯言です。
注意として、中盤あまり気持ちのいい書き方をしていない部分もありますので、その辺りご承知の上お読みください。
それと所詮「IRIAM」なんて末端配信アプリに限定した薄い薄い話ですので悪しからず。

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ひょんなことからIRIAMを2021年の3月にインストールしまして、配信とかアプリとかVとかに疎いゲソ山は、新たな文化と、それで遊ぶ世代に触れ、新鮮な気持ちでここ10ヶ月ほど遊んで来ました。

「自分(容姿や声)を使って自己表現する」というのは、動画アップロードや生配信という文化が始まってからさらに、誰でも自由にできるように、そして見られるように、見てもらえるようにはなりました。それまではネット声優とか、手刷りで円盤売るとか、小屋で舞台やるとか、なかなか表に出ないローカルでマイナーものだったように感じます。
今でも世代や趣向によっては「配信」がまだマイナーなものであったりもしますが、趣味が多様化した現代、そもそも「マイナー」という言葉が意味をなしていない時代なのかなとも感じています。世代性別だけでなく色々なエンタメが増えて、流行・趣向も一概に括れない時代になりました。

さて本題です。
この界隈を知ってから、何故か比較的頻繁にTwitterで「Vライバー(Vtuber)を引退します」という言葉を見かけます。
私はこの言葉に違和感と気持ち悪さを覚えます。
本来「引退」という言葉はそんな頻繁に見るものではないと考えているからです。

これに伴うワードに「転生」などがありますが、その辺を結びつけるのはまたややこしくなるので、少しそれは置いておきましょう(引退理由が転生だという云々)。

結論から言うと、「卒業」「引退」というのは、本来やり切った人が使う言葉だと私は思ってます。しかしどうもそうではないようです。「うまくできないからやめる」「プライベートが詰まってきたから辞める」「飽きたからやめる」事にすら「引退」という言葉をあえて使って煽る。そもそも第何次だかのアイドルブームに端を発した軽い言葉の使い方だと思いますが、あえて言いたいのは「お前引退するほどやってねぇじゃねぇか」って話です。

始めるのは簡単。だからやめるのも簡単。それがIRIAMのスタイル、売りだと思います。IRIAMに限らず配信アプリはきっとそうでしょう。みんな簡単に始めよう。そして投げ銭文化の敷居を下げよう。素敵なビジネスモデルです。なにもないところに莫大なお金を産む。天才かよ、と。

「あなたも今日からVライバー」。だから簡単に始められることの良さはあります。「自分もヒーローになりたい」「私もアイドルになりたい」そういうチヤホヤされたい、素敵に変身したい欲求を速やかに満たしてくれるアプリ。素敵です。

だから、そんなものに引退やら卒業やらはそもそもないんですよ。

「廃業」なんて言葉もありますが、それも違ってて、「いやそもそもお前ら仕事でやってねぇだろ」って話にもなります。本来なら単に「辞める」「辞退」が正しい表現なんです。
ただ、そもそも趣味で何となくやりたい、面白そうだからって始めたものでしょうから(ちゃんとした覚悟を決めて半端な気持ちでやってないです!とかそう言うことではなく)、「辞める」なんてそもそも公言しなくていいんです。一旦おやすみしてまた気が向けばやればいい。そんなものなのではないでしょうか。
「前みたいに頻繁にできなくなりましたがTwitterにはいますし、配信は見に行きますよー」でいいじゃないですか。いやそもそもそんなお気持ちすらいらないんです。つまり単に構ってほしいんだなぁとすら思います。高尚な言い回しなんかしなくても、正直に言ったらいいんですよ。
ライバーとリスナーにそんな大きな垣根がないのが今のIRIAMだと感じてます。みんながライバーでみんながリスナー。一昔前は明確に分かれてたそうですが、そんな時代の現役ライバーは一握りにも満たないのではないでしょうか。

「私は真面目に配信業を仕事にしたい!」なんていう人がいます。いやいや、堅実に働きなさい。まず、お金を稼ぐことはそんな簡単じゃないんです。もし配信業を「芸事」だと定義するならば、そんな簡単に初められて簡単に飯ダネになるような甘いもんじゃないはずです。
でも楽しいんです。だから楽しいんですね。
配信は間違いなく楽しい。かりそめの体を手に入れて、いつもの自分じゃない何かになることは変えがたい楽しいことでもある。
でも、だからこそ趣味として遊ぶんです。
IRIAMの配信はどこまで行っても「草野球」なんですよ。
「プロ野球」じゃない。

「引退します」「稼ぎたい」。言葉には意味がある。重みがある。それを軽々しく使うことに対してゲソ山はあえて異を唱えてみようと思ったわけです。

「事務所ライバー」なんていう、正直よくわからないものがいます。「私は事務所ライバーだから仕事みたいなものだ」なんて仰る方もいます。
でも、考えてみてください。
リスナーがそれこそアホみたいにお金を投げます。ライバーを喜ばせるために。そしてIRIAMがハネて、事務所がハネて、残るものは雀の涙。どんだけピンハネされてるんですか。そんな仕事がありますか。アコギにも程がありませんか。自分の時間を、それこそプライベートを切り売りしてやるような「仕事」ですか。
時間も取られます。だから時給を上げたい、という人もいらっしゃるようにお見受けします。そもそも芸事に時給なんかないです。社畜と蔑むような、時給の世界じゃないところで仕事がしたい人だったりしますか?いやいや、だったら今のシステムに齧り付く理由は何ですか?簡単だからですか?他の手段がないからですか?「配信しかできない」からですか?
実力と努力とセンスと才能があるからこそ、コツコツ働くよりも時間効率がいいのが芸事やエンタメの世界だとゲソ山は考えます。だから普通の人じゃできない。日々の鍛錬や努力があってこその芸事です。IRIAMでの配信がもしそうだとしたら、もはや時間効率が悪すぎる上に成功しても端金。そんなカタチがあなたの見据える未来ですか?そんな一攫千金すらあり得ないシステムの中で頑張って素敵な未来が待ってると思いますか?

例えば、IRIAMが世界最高規模のエンタメになったとしましょう。そうなって始めてあなたは成功するかもしれない。でもその時にあなたは生き残れますか?どうやってあの中で生き残りますか?そんな大きくなくてもいいから楽しくやっていきたい?だったら携わり方が違うんじゃないですか?

勿論その世界の先駆者ならありえもしましょう。そこがブルーオーシャンだというならばわかります。ですがそうではない。不動の配信者となって生き残ってIRIAMが巨大企業になったとして、あなたがその10本の指に入るライバーになれますか?なる算段はありますか?

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さて、少しスッキリしました。
形になってない、メッセージ性が高いようですごく低いいつものゲソ山節です。おっさんが狭い了見で物申しています。
落ち着いて読み返してみてますが、それでも、ライバーで食ってくとか成功するなんてのは、サラリーマンとして働く、パートとして働くよりも、飯のタネにするには割りに合わなさすぎると思います。
もちろん、頑張れる人は頑張ったらいいとも思います。きちんと生活基盤を支えてくれるパトロンを捕まえて、この世界で頑張れるならそれはそれで最高で素敵なことです。

ただ、おっさんだから10ヶ月近く見てきて言いたいことは

配信は、自分が自由にできる、そして縛られない、一生続けられるような素敵な趣味にしてみたらいかがでしょうか

ということです。

IRIAMは「流行りの声優やアイドルやアニメキャラやVTuverになれる魔法のアプリ」です。変身グッズなんです。仮面ライダーやプリキュアに変身できるおもちゃなんです。
あなた方のほとんどは、タレントでもなんでもない。厳選された生粋の業師でもない(事務所のテストに受かりましたとかそう言う次元の話をしていません)。エンタメのシステムがなんだかもわからない、しがない一般人です。どこまで行ってもそれは変わりません。

IRIAMライバーもリスナーと同様の「消費する側」なんです。言うなれば搾取される側です。もしエンターテイナーとして大成功を収めたいなら、きっとそれはIRIAMからは始まりません(勿論きっかけにはなるかもしれません)。

だから。ここでは遊びましょう。
これを遊びにしましょう。趣味にしましょう。
自分を追い詰めたり悩んだりすることなく。
また、遊びだから本気になれたりもするんです。
遊びだから仕事じゃできないようなパワーが出たりするんです。
追われることなく、自分の好きなようにやるからこそ得られる達成感があるんです。

だからそもそも引退や辞退なんかないんです。
好きに人と知り合い、好きに人を推し、好きに配信をし、好きに配信を聴き、好きにTwitterやDiscordで絡む。とても素敵な趣味です。昔ではあり得なかった素敵なコミュニケーションアイテムばかりじゃないですか。これもその一つ。そして、それで遊べるあなたになってこそ、あなた自身を一番光り輝かせるんです。

無駄な事に無駄な時間を割くほど、勿体無いことはないんです。無駄が有益な経験を生む事もありますが、今あなたが抱えている問題は、有益な経験ではないはずです。

そして、それに大枚叩いている若者リスナーは、そうである事実を知った上で、あえて金をドブに捨てているという事実を、もっと分かった方がいい。

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世界を知らない若者が、ごっこ遊びに精を出す。大いに結構。ただ、勘違いしないようにしてください。簡単にできることに、大きな結果は待っていません。でも、簡単にできる遊びだからこそ、本気で何か大きなことができたりもするんです。
「趣味を仕事に」。素敵な言葉です。でも趣味を仕事にした瞬間に趣味じゃなくなります。過酷です。ただ過酷な毎日が待ってます。もはや自我が崩壊するほどの過酷で苦痛な日々が待ってます。でも「配信」ってのはそんなもんじゃないはずです。そしてそこに「芸事での成功」のようなものは待っていません。
ですが、それでも自分は成功したい、成功するんだ、と言う気概でやっている人もいます。実はそれもそれで大いに結構なんです。「自分にはこれしかない、これが自分が生きられる道なんだ、これ以外生き方がわからない」。そう言う人にはこの話は当てはまりません。何故なら引退をするなんて言葉が出てこないからです。生涯ライバー。最高の生き方です。そして最高の死に方です。

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というわけで、そもそもハンパなのに、言うことだけは上等な人が少なくないなぁと常々感じているので、おっさんがIRIAMの路地裏でいつも思ってることを書き記してみました。

ゲソ山もかつては世界に名を馳せるクリエイターになりたいと思っていた時期もありましたが、世界の広さと、社会の作りを知って、その夢を見るのを辞めました。諦めのではなく、辞めました。その夢じゃない方が素敵に生きられると知ったからです。その夢を追いかけなくても素敵に生きられる事を知ったからです。「それしかない」と思って不器用な生き方をするほど、不器用じゃなかったからです。ただ、それを知らなかった頃のエネルギーとバイタリティは計り知れないものがあったような気もします。今となってはタイヤと繋がってないエンジンを全力で空吹かししてただけなんですけどね。生き方を知らなかった。子供だったんです。

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ヘタな書き物よりも文字数が多くなったので、一体どんだけこれを書き殴りたかったのかと自分でも驚いてます。

何より伝えたいのは、ライバーに対してもそうですが、こんなものに大金ブチ混んでる若者リスナーに対してなんです。
日本一億総クリエイター時代なので、今の若い子たちにとってそういう人やそういうことはとても身近になりました。
だからこそ「審美眼」を磨いて欲しいとも思います。

「推さなきゃいなくなるから推せる時に推せ」なんてふざけた言葉もよく目にします。
言わせてください。

推さなきゃいなくなるようなものは、そもそも推す必要がないんです。
推さなくてもそれであり続ける美しさを持つものを見つけて推してほしい。

と思うわけです。

そんな事を思いながら、今日もゲソ山は型落ちのiPhoneを片手にIRIAMの路地裏で酒を呑みます。

それでは良いお年をお迎えください。
2022年も宜しくお願いします。

<完>

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