オフ会、裏遊び否定派に対する私見

 【許せ】と願っている。そう、願っている。

 私自身はオフ会をしたことがないし、したいとは思わない。
 でも人がオフ会や遊んだりしてるのは微笑ましくて良いと思っている。

 だからオフ会を実際にしてる人の気持ちはわからないし、オフ会する人達を毛嫌いする人に理解示すのもおこがましいとも思う。

 ただ思うところがないわけではないので、自由記述としてここに発散する。

 
 オフ会をする人にやっかみする人の感情は様々あると思うが、私が考えるに突き詰めた感情の先は【嫉妬】だと思う。
 オフ会による詐欺などのリスクを考えてない浅慮に対する心配、これは建前としては使えると思うが、おおむねそんなものは嘘だ。
 人とオフで会う勇気、楽しそうにしてる姿、それらに対する羨望が根底にあって、そこにあるのは『自分がそれをできないって事実を受け入れられない』じゃないだろうか。自分がバカに見えることは否定していかないと辛いから、軽蔑の感情に変換して攻撃していないと保てない。
 頭の中でライブ配信してる時は小粋なトークをかまして、賞賛のコメントの中にはヒカキンだって混ざってるし、好きなVの雑談で俺のことを話してる部分が切り抜きに上がってる。それは決して現実じゃないし、会話なんてしどろもどろで言葉がでてこないばかり。それでもネットの相手にはそれバレてない。ネットの相手の脳内の俺はイケボでイケメンで喋っても歩いても服を買ってもイケている、そうやって考える余地がある。余地は救い。可能性は消費しなければいつだって開花した未来を夢みて楽しめる。自分を保てる。
 オフってのは、誰かと声を繋ぐ、遊ぶっていうのは、その余地を消費してしまう。自分を保つための可能性を潰してしまう。それをやったら現実を見なくちゃいけない。現実を見たら克服するために戦うか、負けて伏せるしかない。戦う労力は面倒だし、負けは認めたくない。なら余地に縋って会わない、遊ばない。合理的で賢い選択だ。これは自分語り入ってる。

 で、現実にはオフ会してる人たちがいる。認められるわけがない。それは成功者のやっていることだ。こっちが脳内でやりとりしているものを、現実にやっているのだから。
 じゃあ自分もやったらいい?やれるわけがない。それは自分の余地を奪う作業だから。
 でも、物理的には可能な出来事。『一歩踏み出せば』とか言われてしまうような『やろうと思えばできること』の範疇。探せば、仲良くなれば、頑張れば、オフ会は自分にもできるかもしれないこと。というかオフ会してる人たちはその頑張りとか労力と過程を経てるんだろう。少し考えたらわかる。ほんの少しでだ。
 わかったらなんだ、わかってる上で何もしない。それじゃ自分がバカに見える、情けなくなる。そんな自分を守るためにも、行動しない自分を肯定するためには相手を否定するしかない。その否定が正義とふるまわないとやってられない。

 この自己防衛のために振るってしまう否定作業。これは悪か。
 当然悪である。当たり前に。
 やってることも思想もライバーにアンチコメントして犯罪者として捕まった人のそれとおおよそ変わらない。
 許されてはいけないし、罰せられるべきだ。それが正しい。

 詐欺でなく、楽しく行われたオフ会や裏遊びを否定することは悪で、正しくない。これは結論。

 
 ただこれは私の感情とは別だ。
 理屈的にはこうだな、だから否定派が悪く言われるのは正しいなと思う。
 だが、マインドとしては私自身否定派達に近い。だから同情の気持ちもあるんだろう。『許されて欲しい』と思ってしまう。
 許されたら調子に乗って増長してしまうだろうし、何故楽しんでた側が受けた被害を無視する寛容な心を持たなければいけないのか。全くその通りである。
 その通り正しいんだけど、私は正しく生きれる人間じゃない、情けないから、善悪の判定を踏まえた上ですら懇願してしまう。慈悲を、恵みを。
 どうか、やっかむ情けない感情を持つことを。それをコンテンツだね、って笑って無視されることを。吐き出してしまった、ぶつけてしまったクソが何も生まないでくれることを。それに寄り添う薄暗い温かみがあってくれたら、嬉しいなと。


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