博士課程を標準年限で修了する(社会学2021年入学コホートの事例)
はじめに
2023年度の3月に博士号の受理が決定し、博士課程を修了しました。自分はD3を終えるとともに博士課程を修了したので、標準年限で卒業したことになります。(定義としてはおかしいのですが)標準年限で卒業することは社会学の分野では僅少で、多くの人はもう1、2年、あるいはそれ以上をかけて博士論文を書き上げることが多いです。
近年では博士課程を標準年限で修了することへの期待が高まっています。近年では博士号が就職の必須要件になってきていること、また(少なくとも自分が属していた東京大学では)学内の経済的支援がD3からD4にかけて打ち切られることから、標準年限で卒業する需要が高まっていると考えています。
この投稿では標準年限で卒業するという(2024年時点で)僅少な事例である自分を対象に、博士課程の間に何をしていたかを書き残します。博士課程を冗長な時間をかけずに修了するには、博士課程の間にある程度戦略的な行動をする必要があります。1つの事例を書き残しておくことで、それを受容するにせよ却下するにせよ、博論を出すための足がかりになることを祈っています。
ただちに付け加える必要があるのは、この投稿では「博士号は標準年限で取るべき」とか、「博士号を標準年限で取らないのはダメなこと」といった類の規範的な主張はしません。あくまで標準年限で博士号を取るという1つの可能性にたいして言及しており、それが優れた実践だとか、そういったことを主張する性質の投稿ではないことは了承ください。そして、この投稿では個人の行動を中心に記述しますが、個人の行動によってのみ博士号を標準年限で取得できる可能性をすべて説明できるわけではないことにも留意してください。指導教員の方針、審査委員の先生方、大学の規則などの外生的な要因でも標準年限での博士号の取得可能性は変わります。それは自分では操作できない部分が大きいため、ここでは述べません。それゆえ、ここで述べた行動を必ずしも読み手の方が置かれた文脈で実践できないかもしれないこと、あらかじめご了承ください。
簡単なプロフィール
私は東京大学の人文社会系研究科にかつて属しており、そこで高齢者がいかなる職業に従事しているのかを、「水準の低下を伴う性質の保存」として明らかにしました。私の研究は社会階層研究への貢献を志向しており、分析には主として計量的なデータを分析しています。なので分野は社会学の中でも社会階層論、手法は計量的分析、ということになります。
博士課程の間の行動
私は博士課程の間に12の研究プロジェクトに着手し、うち4つの研究を査読論文として出版し、4つの研究を闇に葬り、4つの研究を博論の一部としました。査読論文として出版した4つの研究のうち2つは修士課程から着手していたもの、残り2つは博士課程に新たに着手したものです。
これが多いか少ないかはほかの比較対象がないと分かりませんが、これらは必ずしもすべてがまったく独立したプロジェクト、というわけではありません。ほとんどが高齢者を対象にしている(もしくは分析に含めている)ものですし、使用しているデータも主として2種類だけです(研究プロジェクトAとBはそれぞれ別のデータを使用しています)。もちろん研究の問いは異なりますが、データの整形や理論枠組みの設定という点で、互いは緩やかにつながっています。
修士課程が修了し、2021年1月(厳密には修士課程)からは修士論文の投稿論文化(プロジェクトA)と、リーディング大学院(という過去の制度)での研究プロジェクトの投稿論文化(プロジェクトB)を進めていました。Bは3月時点でサブミットしたのですが、結果は一発リジェクトで、それがショックすぎて11月まで塩漬けにしていました(めちゃめちゃ怒られました)。Aは色々迷いながら執筆して、何ヶ月か放置して11月にサブミットしました。2度のR&Rを経て翌年4月に受理されました。
博士課程1年次は結果的に博論でも使うデータを受け取り、その整形と別データとのマッチングを進めていました。その一環して高齢期の前後で職業で用いるスキルはどのように変化するのか、という問いを検証した論文を書きました(プロジェクトC)。2度のR&Rを経て1年後に受理されました。この枠組みをより長期的な視座で検証した論文が博論4章(プロジェクトJ)になりました。
博士課程2年のときはいくつかの研究を進めたのですが、理論がうまく組めなかったこと、測定がとても心もとなかったことなどから、研究を断念しました。フルペーパーは書いていましたが、特にどこに出すでもなく、クラウドの果てに消えていきました。他方で2年のときには博論で使うもう1つのデータを入手し、それを用いて学会報告をしました。これは博論の5章(プロジェクトI)そのものになります。別の研究で、博論3章(プロジェクトL)の一部に使用することになるもの(プロジェクトD)を執筆し、2年次の終わりに提出しました。4度の(4度の⁈)R&Rを経て、執筆時点で出版作業中です。
博士課程3年はプロジェクトDの査読修正にくわえて、博論第6章(プロジェクトK)の執筆と、それの国際学会での報告を行いました。また博士論文全体を書き上げるため、博論のイントロダクションと結論の執筆をしました。11月に博士論文を提出し、12月に審査、1月に修正、2月に受理という流れでした。
博士論文を博士課程の間にどのようにつくってきたのかも振り返ります。自分の研究室では博論セミナーと呼ばれるものがあり、現時点での博士論文のアイディアを研究室のスタッフに見せ、コメントをいただくというイベントがありました。自分は博論セミナーをD1の11月に一回おこないました。翌年の11月にはもうすこし具体的なものを博士候補審査として持ち込み、それが審査され、博士候補となりました。博士候補以降本格的に博論の執筆を進め、さらに翌年の11月に提出、というふうに進みました。
おおまかにまとめると、
①博士1年:修士論文の投稿論文化を進めて、新しいデータの整形と研究に着手 ②博士2年:博士1年で提出した論文の査読修正を行いながら、博論の分析章となる研究を進める ③博士3年:博士論文を本格的に仕上げ、提出する
という流れでした。
本当にすべての時間を研究に使っていたのか?というと必ずしもそうではなく、たまには休んで海を見に行ったり、あるいはTAのスライドをつくっていたり、学会事務局業務に従事していたりしました。これらは研究をサブスタンティブに妨げる類のものではなかったと思っています。
博士課程での行動をめぐる解釈
このように博士課程を過ごしてきました。自分の大学は査読論文を4つ出せば自動的に博士号が授与されるわけではなく、査読論文の本数にかかわらず博士論文を提出し、それが審査委員会に認められる必要があります。その点において、このような実践を可能にしたTipsを振り返りました。
D1時点で「博士論文」というファイルを用意した
SNS上で「博士論文」というファイルを作成すると良いということが書かれており、実際に良かったです。もちろんD1時点では執筆はせず、自分の研究対象(高齢者就業)をめぐる制度の変遷やデータの概要について3,4ページ、修論でまとめたことを踏まえ執筆しただけでした。
「博士論文」というファイルを用意すると、毎回研究プロジェクトを格納するファイルを開くたびにそれが目に入り、否応なしに意識せざるを得なくなります。毎日頭の片隅に博論をちょっとだけでも置いておくと、たとえば先行研究を読んでいるときに、「この議論の仕方は博論で使えるかも」といったように、緩やかに博論が膨らんだと振り返ってみれば感じてます。
依拠する研究分野と方法を措定した
必ずしも分野を所与とせず、しばしば個人的な政策的・臨床的関心にもとづいて社会学研究は志されることがあります。そうすると、社会学のどの分野に自分は属しているのか、またどのような方法でその対象を観察しようとするのかが一意に定まらないことがあります。
たとえば、「若年期に副業をするとその後のキャリアで有利に働くのではないか?」という問いを検証したいとします。この問いは社会学の中の複数のサブ分野との関係から位置づけることができます。社会階層論としては個人間に生じる有利/不利の形成要因として副業を位置づける研究になるし、労働社会学としてはギグ・エコノミー下のキャリア形成、といった立て付けになるかもしれません。ライフコース社会学では機会/リスクの連鎖を修正する要因としての副業などが考えられます。方法論としても、副業を介入とみなした統計的因果推論もできるし、副業をしている人にどういうふうに有利に働いたかをインタビューすることもできるし、副業経験者と未経験者の組織での仕事っぷりの違いを参与観察することもできるかもしれません。
自分の研究をたくさんの分野に位置づけられると、自分はどの分野の人間なんだろう、どういうふうな方法で問いを検証すれば良いのだろう、とたくさんの選択肢にさらされると思います。私のおススメは、えいやっと分野と方法を決め打っちゃう、です。1番の悪手はあっちにも意味があるしこっちにも意味がある、みたいに全部やることだと思います。分野と方法の決定は依拠する先行研究群に大きくかかわるので、それを絞ることで読むべき先行研究がクリアになり、問いを洗練させられたなと振り返ると思いました。
環境に任せた
振り返れば、分野や方法の決め手は、その選択でどれだけ同僚(研究室や学会の先輩、同期、後輩)や指導教員から意義のある議論を引き出せるか、でした。自分が修士課程に入ったときは必ずしも社会階層論にも計量分析にも関心はありませんでしたが、社会階層論で、なおかつ計量分析手法を用いて研究をする指導教員や同期に会い議論するなかで、社会階層論への関心が高まりました。選択を環境に任せることは、自分の研究にコメントしてくれる同僚を増やすことができる点で、良い判断だったなと振り返れば思いました。
これはもう少し地道な、統計分析の面でも当てはまると思います。統計ソフトとしてStataを使うべきか、Rを使うべきか、Pythonを使うべきかという悩みはよく見かけますが、これも身の回りの人からどれだけアドバイスを引き出せるかに依ると思います(個人的にはSを冠する統計ソフトはあまねく滅ぶべしと思っていますが)。環境に身を任せると博論への道のりがクリアになり、なおかつその背中を押してくれる同僚のアドバイスも得やすくなるので、おススメです。
研究会で報告した
同僚が自分の研究についてコメントしてくれることは、博論を書くための最大の近道でした。たとえば、同僚から来たコメントが査読でもきた(のでスムーズに対応できた)、分析を精緻化する方法論とそれが書いてある論文を教えてくれた、本当に意味のない研究にストップを言ってくれた笑など、研究を進める上でも損切りするうえでも示唆に富むコメントをもらえました。
データを限定した
私は計量分析のなかでも既存データの二次分析、すなわちすでに収集されてあるデータを再利用して研究をしていました。これは自分の選択というより指導教員の方針を受け入れた感じですが、データはあまり手広くは使いませんでした(2種類だけ)。もちろんデータに問いが引っ張られるのは良くないのですが、かといって具体的な解析計画がないままデータ整形を進めても、実際に使わないのであれば時間がもったいないので、ある程度は限定しても良いと思います(これも決め打っちゃう、という方針に沿うものと思います)。
アルバイト・非常勤講師はほとんどしなかった
自分の場合、アルバイトはTA・RAと学会事務局しかせず、非常勤講師はまったくしませんでした。アルバイトおよび非常勤講師は時間はたくさん取られるけどお金がきっちりもらえるということで、するなというのは非常に憚られる選択なのですが、しなくて済むならしない方が良いと思います。東京大学は奨励金が豊富なので、私はそれで口にのりして生命活動を維持していました。もししなくても良い環境下にあるならできるだけせず、する必要があるときは研究に直接つながる(例、そのアルバイトを通じてインタビュー協力者に出会える)とか、時給が異常に高いアルバイトを短時間すると良いのではないかと思います。そういうアルバイトがあればの話ですが。
共同研究はほとんどしなかった
これも良いか悪いかはわからないのですが、共同研究はしませんでした。指導教員からは「博論に使えるなら良い」といったアドバイスをいただいたものの、結局博論には結び付けられなさそうだったのでしませんでした。自分の研究をほかの人が協働してほしいと思っているとは限りませんが、もし博論にもつながるような共同研究の打診があれば、個人的には積極的に受けても良いと思います。
おわりに
博士論文を書く、ということは非常に大変なことで、ただでさえ論文を書くのが大変なのに、それより大きなものを書くのはプレッシャーにもなります。それどころか、博士論文を標準年限で書くとなると、色々なものを我慢しなければならず、ただでさえストレスフルな博士課程に余計な負荷を課すことになります。
博論を標準年限で書くメリットの1つは博論を書かなければならないというプレッシャーから解放されることです。博論を書き終えるとそれ以上博論を書かなくて良くなります。博論執筆期間中に溜め込んでいた研究アイデアが全部できるようになります。しかも博士号を取得することでアクセスできる新たなステージにも足を踏み入れることができます。もちろん、だから博士号を標準年限で取得するべきだ、と言っているわけではありませんが。
行動ではなく気持ちの面ですが、あまり自分のハードルを上げすぎないのが良いと思います。社会学では博士を出た人はだいたい標準年限+βの期間をかけて博論を書いており、+β分良い博士論文であることは自明です(ただしβ≥0)。標準年限で書いた博論は通常より-βだけ小さいのも当然なので、生煮えであることは当たり前だと胸を張っていたほうが精神的に望ましいです。これも気持ちの面ですが、せめて研究内容だけはやっていて楽しいもののみを選ぶと良いと思います。博論として一貫性は保てるけれども、それ以外でなんのためにやっているのかわからない研究はやっていてとてもつらく、また審査時にコメントがきてもためになった感覚が持ちづらいので、しなくて済むならそれに越したことはありません。もちろん現実的にはそうはならないことが多いですが、無理してせかせか新しい研究を作らなくて済むことも重要です。