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詩的な日常

『実を言うとね、私は本当に本当に日本に行ってみたいの。いつか絶対行くわ。その時は連絡するから、あなたが暇していたらいいな。そうしたら、会えるかも。そうしたら、素敵な紅茶を飲みながら、素敵な話をしましょう。』

この文章に僕はノックアウトされてしまった。

とはいっても、この言葉は10年以上前に高校時代、イギリスに僕が留学していた際、同じ高校にフィンランドから留学に来ていたTuuli(フィンランド語で風という意味らしい)ちゃんという女の子から送られてきたもので、もう彼女は結婚して子供もいるので、恋愛的な意味で、とかそういう意味では別にないのだけれど。

ノックアウトされたのはこの表現の美しさというか、詩的さにである。

彼女は恐らく1年英国に留学した以外はそこまで英語を日常的に使う環境にいたわけではなかったはずだし、恐らく純粋に英語力という意味では僕の方が彼女よりも英語を使いこなせていると思う。

ただ、言語力というのとはまた違う、発想の詩的さというのか、こういう文章は日本語で、あるいは日本人には書けないな、と心底感服してしまった。

もちろんこういう言い方が存在していないわけではないのだろうけど、映画や小説の中だけの話で、どうしても日常で使う機会はまったくない。

自然の美しさを表す言葉であったり、ウエットな趣とでもいうのだろうか、そういう点では日本語は非常に美しく語彙も豊富だと思っているのだけど、逆にこのように爽やかで軽やかな素敵さみたいな面ではちょっとかなわないな、と感じさせられた。

というか、むしろ言語の問題というよりも国民性の問題というか、言葉の問題でこういう言い方ができないのではなくて、単純に文化的なものの違いという気もする。

どうしても、気取った言い方や仕草には少し嫌味な印象が日本ではついて回ることが多いように思う。

それで思い出したのだけれど、以前オランダを旅行していた時にカナダ人の看護師さんで、長期休暇を取ってヨーロッパ一周旅行中、という女性と出会ったことがあった。

次はベルギーに行く、と言っていたのでさらにその次はどこにいくの?と尋ねたところ、『まだ決めてないの。Wherever the wind takes me. (風が連れて行ってくれるところならどこでも。)』という答えが返ってきて、非常に感動したこともあった。

いや、まあだからと言って別に何というわけでもないのだけれど、なんとなく、日本でもそういった詩的な言い回しを普通に使えるような空気になってほしいなー、と思いましたという話。

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