面接

「シカゴにピアノ調律師は何人いますか?」

「あっ、私の従兄弟がシカゴでピアノ調律師をしています」

 私の従兄弟はシカゴでピアノ調律師をしている。彼は昨年度末に京都府立極東ワイマール音楽大学(通称「不協和音大」)の工学部を中退し、すぐに働き口を求めてアメリカへ旅立った。彼は在学中、第二日本語(関西方言)の単位がどうしても取得できず、度重なる再履修の末についに教員にB(ぶぶ漬け)評定を下され、卒業が不可能になったのだ。

 私が言い終わると、私をくの字に囲っている長机の右手側から、シャッ、と紙を引っ掻くような音がした。脇目で見やると、もう一人の面接官がマッチの火をタバコに近づけているのが見えた。

「さっきの質問の意図は、問いに答えるために必要な数値を即座に具体的に仮定し、それを用いて論理的に概算値を導く能力、そして判断力があるかどうかを見るものでした。あなたのご親類のことは聞いていません」

「フェルミですよね、それ」

 漂ってきたタバコの匂いが、そのまま私の意識になった。フェルミは、TNT(東京ナショナルタバコ)からダークグリーンのパッケージで販売されている、テキーラ着香のスパイシーで甘いタバコである。父が愛飲していたので、直ちにそれと分かった。正面の面接官が小さく咳き込む。

「以上で本日の面接は終わりです。ところで、実は私の従兄弟もシカゴに住んでいて、今朝手紙をもらったのですが、一緒に読みませんか」

 面接官の手元にはいつの間にか小生意気な便箋があった。懐から取り出したペーパーナイフで丁寧に開封すると、便箋に対してなんとも情けない紙切れが出てきた。


前略

 メジャーリーガーを怒らせてしまいました。明日にも帰るので、匿ってください

草々


 面接官は読み終わるや否や立ち上がり、バタバタと机上の書類や筆記具を書類カバンに押し込み始めた。私は椅子の背にもたれて、それらの道具が次々にしまいこまれるのを目で追っていたが、そうするうちに段々、曰く言いがたい不安が込み上げてきた。

「あの、私は採用ですか」

「あなたは不採用です」

「そんな」

 私は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がり、胸ポケットに入れていたお守りを床に叩きつけた。何の音もしなかった。面接官はパンパンに膨れたカバンの持ち手を握って、扉の方へ歩き出した。

「どこへ行くんです」

「近所の精肉店が六時で閉まるので、私は帰ります」

「今晩はすき焼きにします」

 食い下がろうとする私を制するかのようにそう言い添えると、面接官はあわただしく部屋を出て行った。

 背後からボンッ、と大きな音がした。驚いて振り返ると、もう一人の面接官が炎に巻かれながら、床に転がってもがいていた。その様子は、西日で橙色に染まる面接室の中では、ただ影がうごめいているように見えた。その少し手前で、机から落ちたフェルミが、こちらも細やかな影となって床に散らばっている。

 その光景を前に私はと言うと、思い出していた...何年前だったか、その日はお盆の中日で、山間にある父方の実家に帰省中だった。夕方、従兄弟に連れ出されて、近所の川辺で松明を振り回して羽虫を焼き殺していたら、それをたまたま通りがかった父に見られて、大変な勘気を蒙った。父は、先祖の霊が帰ってくる大事な期間だというのに、むやみに虫を殺して遊ぶとは罰当たりも過ぎる、と怒りで呂律を乱しながら私たちを怒鳴り付けた。しかし、当時JBA(Japan Broadcast Association )で放送されていた教育番組『サイエンス・気違い三尺刀』の影響でにわか唯物論者だった私には、父の怒りが分からなかった。ただ、父が怒っているのが悲しかった。私は怒られている間、従兄弟の半歩後ろに立ってうつむきながら、脇目で従兄弟の持つ松明の火が川面で揺れるのをじっと見ていた。

「まだ分からないのか、この大バカが!」

 突然炎の中から熱線のような声が飛び出す。面接室はナトリウム電球のように一面橙色で、面接官はもはや見えもしなかった。夕日と炎の区別がつかない。壁と扉の区別もつかない。そもそも壁があるのかさえ分からない。あまつさえ方向が分からなくなった。しかし、記憶に従うなら、声がしたのとは反対の方向に扉があるはずだ。私は声がした方向へ一目散に走り出した。懐かしかったからだ。声が、光が、そして怒りが。釘を打つ槌のように振り下ろされる、どうしたって宥めようのない怒りが...

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