歯
歯のことを考えると憂鬱になる。衰えゆく私の肉体のその衰えの、最も可視的な部分、衰えの前線、滅びの具象。滅びが、大きく口を開いている…
歯のことを考えると憂鬱になるから、歯医者に継続的に通院できない。歯医者に行ったら、そこでまた次回の予約をしなくてはならなくなる。要は憂鬱を予約するわけであり…
口腔なる、私の最も近くにある闇。私に明かされないその闇の中では、私に明かされない仕方で、常に、今この瞬間も、歯が蝕まれ続けている。死の先兵であり、暗闇の中で薄ら白む、孤独な歯が…
歯痛、人類の奢侈で放埒な享楽に、貪食に、あるいは悪食に与えられた罰、赤くあくがる夢に打ち込まれた楔…
歯痛は食事の楽しみを妨げる。蓋し味覚・嗅覚の楽しみは、感覚が容易にそれで満たされることができること、すなわち非局所的、全体的であることが、その最たる魅力であるのに、それに水を差して台無しにするとは…
歯痛によって、終わりある、有限の肉体へ意識が引き戻される。食事の楽しみが、所詮一時の気休めでしかないことを思い出す。歯痛のことを考えても同じだ。あらゆる良いものは、俯瞰・分析・相対化されてその全体性を損なうと、破壊される。死を思い出すと、生き返ってしまう。折角死のことを忘れて、悠々と死んでいたのに…
歯医者の診察台は、法廷のようだ…そこでは歯は歯であり、口腔内には暗闇も、滅びも、孤独もない。
私は六歳臼歯が生えるのが遅かったので、中学年あたりの頃に歯肉を切開して、半強制的に生えるようにした。思えば私みたいな歯だった…
歯は墓標?いやそもそも、私が私の墓標なのではないか…さらに言えば、全てのものはそれ自身のモニュメントなのかも…
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