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放浪の末に辿り着く無骨と寡黙。

自己否定からの回避。それは孤独になることである。何があろうとも、自己を否定してはならないのだ。
大概、そんな時は焼鳥と酒が自らを救う。
直近の課題は、営業時短の中で早く店に滑り込むかである。
20時が過ぎる。
22時まで2時間を切った。
ネオンサインや暖簾を頼りに、小雪の舞う街中を彷徨うも、思いの外どの店も満席という想定外に、店さえも自己否定するのか、という思いに苛まれた。
焦燥感と諦念の間で雑居ビルを隈なく覗いた。
気がつくと21時を迎えようとしていた。
そこに、カタカナの文字が目に飛び込んできた。
その書体は、外国人観光客がお土産で購入しそうなTシャツのようで、思わず店内を覗いた。
無人の店に入ると、男性の店主1名がカウンター越しに佇んでいた。
カウンター席に座り、生ビールを頼んだ。
そこに愛嬌や明瞭な返答はなく、むしろ冷淡な対応に困惑しながらもメニューを睨んだ。
オーソドックスなメニューの中から「鳥精肉」「豚精肉」、「せせり」、「砂肝」を立て続けに注文した。
突如として訪れたお通しは雪の塊のような大根おろしで、生ビールは一気に消えてゆく。
瓶ビールに切り替えるも、無骨な店主は寡黙に瓶ビールを置き、再び焼き続けた。
最初に訪れた「せせり」は、肉感が乏しく塩気の強さをビールで洗った。
すると、「鳥精肉、豚精肉、砂肝」が同時に現れた。
その外貌自体、焼き過ぎの体裁は否めない。
さらに同様に塩気が強く、ビールは塩気を打ち消すことに徹していた。
後悔の念、それもまた自己否定の結晶として心に突き刺さる。
だが、どこか開き直ることを自らに課し、「ハツ」「レバー」、そして「つくね」と「椎茸」を追加した。
無骨な店主は、寡黙なサムライへの憧憬を抱いているのだろうか?
明快な返答もなく、ひたすら炭火に対峙している。
そこで「ハツ」と「レバー」が登場した。
「ハツ」も「椎茸」も案の定塩気が強い一方、「レバー」は膨らみを帯びた具材に調和の取れたタレが絶妙に絡んでいた。
「つくね」も肉感が乏しくもタレの絡み具合は程よい。
この店の真骨頂はおそらくタレにある、と心の中で独りごちた。
それでも、強い塩の残滓が口内に居座ったままであった。
思わず酒を追加しようと思うも、拭い去れない塩気と自己否定からは逃れようがないのだ。
無骨な店主に会計を告げた。
雪なのか雨なのか定かならぬ細やかな粒子が夜空から降り注ぎ続ける。
22時が近づこうとしていた。
これから何をしようとも、塩気の残滓と自己否定に苛まれるならば、家路を辿ることが最良の選択であることに気づくのであった…

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