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丁寧な味を紡む焼鳥の本領に導かれて。

「紡gi」2021年1月25日(月)

むしろ孤独によって不安を回避して生きて来たような気がした。
他者から理解されまい。
それこそが数少ない誇りのひとつでもあると自覚し続けていた。
この夜は、あらためてそんな自分と対座し、自らを労い、自らと語らうことを目指したのだ。
とはいえ、現状の危機迫る情勢はその夜を迷走させた。
道端の冷たさに、足先が次第に感覚を喪失してゆくのに、これといった店が見つからないままに、大通公園を掠めるように流転した。
毎年この時期ともなると、大量の雪が大通公園に運ばれ、雪まつりに向けて雪像作りの過程が否が応でも見受けられたのに、その不在は現実を突きつけた。
雪で道幅の狭まった路地裏に、小さな赤提灯が雪の中にぽつねんと浮かんでいた。
やきとりの文字に心が騒ぎ、この店で自らと対座しようと中に入った。
半地下の細長いカウンターが店の奥まで凛として伸びている。
とりもなおさず、瓶ビールを求めてグラスを傾けた。生ビールとは異なる風味の強さに舌を巻きながら、少しぎこちないに次々と思うがままに焼鳥を頼んだ。
まずは「砂肝キムチ」の登場だった。
キムチと砂肝の和えた独特の歯応えが冴えて、ビールを誘惑するのだった。
そこに「レバー」が置かれた。
見るからに丁寧な仕上げで、それを確かめるように口元に運ぶと、程よい弾力を携えた臭みのない風合いがビールをいっそう惹き寄せた。
おそらく、この時点である確信が芽生えていた。
ある確信、それは丁寧に焼鳥を仕上げるこの店の本領なるものを感じ取った気がしたのだ。
「しょうが巻き」「豚タン」「もも」のどれもが、その丁寧さを裏切らない。
さらにメニューに目を配ると「煮込み」に目が止まった。
白みそベースの「煮込み」も同様に丁寧で、各々の具材と白みそは互いを尊重し合って調和している。
徐々に満足度を上げる中で、ふと自らと対座することを忘れかけていた。
美味は忘我を導き、恍惚は怠惰を誘うものだ。
ハイボールに切り替えて、あらためて自らと対座する。
この殺伐とした世界の中で、未来に向けてどう関与すべきか?
“発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ”
フランスの作家マルセル・プルーストの言葉が自らを照らした。
締めのメニューとして「納豆いなり」を呼び寄せる。
『少しお時間がかかりますが大丈夫でしょうか?』
店長らしき人物が計らいのある言葉を投げかけてきた。
もちろん了承して、待つ間にも物思いに耽った。
新しい目で見ることによって、きっとそこに新たな道を発見する。
では、新しい目とは、どうやって発見すべきか?
そこに「納豆いなり」が登場した。
それもまた丁寧な仕上げで、辛子と天汁の混淆の中でいなりの乾いた食音の中で納豆がしっとりと絡まって、いとも容易に完食した。
新しい目とは、と自らに問いただした。
この殺伐とした世界の中で、新しい何かを見出し、幾度も倒れよろめきながらも立ち上がり、時を紡ぐ作業の連続によって生まれるものではあるまいか?
階段を登って地上に出た。
店長らしき人物の見送りの言葉を背に纏い、新しい目で自らを再発見する旅の一歩を踏み締めた…

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