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小樽の余韻を辿る、あんかけ焼きそばの灼熱。

「小樽あんかけ処とろり庵 エスタ店」2020年12月11日(金)

冬の風が吹く小樽の坂道を下ってみたい夢を見た。
冬靴で滑らぬように、しっかりと、ゆっくりと。
弾むような綿雪を踏みしめる音に耳を傾けながら…

振り返ると、そこに思い出だけ残っている。ここでもしその店の看板に出逢わなければ、虚しい心に震えていただろう。

札幌駅を結ぶ地下1階をそぞろ歩くと、小樽名物のあんかけ焼きそばを供するカウンターだけの小さな店に導かれた。
地下1階でも、そこはかとなく肌寒い。
あの日の小樽の夜も容赦なく寒かった記憶が蘇る。
豊富な海鮮と灼熱を宿す濃厚なあんかけこそ、小樽名物の所以なのだろう。
先に料金を支払い、「あんかけ焼きそば」を待ち侘びるばかりだ。
意外にも年配の客がカウンター席を陣取り、湯気が舞うあんかけ焼きそばを勢いよく啜り上げている。
日々は無意識に歳を重ね、いつしか美味を食することすら困難にしてしまう時が必ず来る。
年配の客の威勢の良い食欲は自らを鼓舞した。
背後から迫ってくる出来たての「あんかけ焼きそば」の気配を感じた。
大きな皿になみなみと盛られた褐色のあんかけにまみれて、イカ、エビ、野菜、豚肉が不気味な沈黙の中に横たわる。
黄金色の辛子と朱色の紅生姜が、これから始まる熱の狂乱を示唆しているかのようだ。
箸で具材とあんかけを掻き分けて麺を模索する。
一気に沸騰する湯気が眼鏡を瞬く間に曇らせた。
辛子を全体にまぶしながら少し多めに酢を施し、再びまぶすことを繰り返す。
甘味のあるあんかけに、酢と紅生姜は必須の名脇役だ。
焼き焦げた麺と白菜やもやしが絡み合い、食欲にも情熱を帯びる。
エビやイカの海鮮風味も吸い込む息の中に溶けて消えた。
それにしても、同じ時を駆け抜けようとしているのに、12月は何故に足早なのだろう?
その歩速を幾分でも緩めるように、吸い付くような麺の感触を確かめながら噛み続けた。
今一度、再び小樽への熱望に駆られた。
さらに言えば、小樽でなくても良い。
それは新たな旅への唐突な誘惑であった。
いったん立ち止まり、自らの指針を確かめ、自らの足と自らの歩速で生きること。
旅はそれを指差す。
見知らぬ空の下で、新たな食に魅了され、まだ見ぬ生を夢想する。それが旅なのだ。
その時、携帯電話がその誘惑を断ち切った。
そそくさと現実に戻らなければならぬ。
空のない窮屈な地下に無言の別れを告げて…

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