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伝統を継承する水炊きへのときめきと陶酔。

「博多味処水炊き いろは本店」2021年5月3日(月・祝)

思い切って南西へと天翔けた。
何かを振り払うように、不安を抱きつつも願望に忠実に従いながら…

その往路はいかんせん長く、動勢からしても慎重になるほかなかった。
到着とともにウィンドブレーカーを脱ぎ捨てた。
この地に訪れたのは、およそ4年振りだろうか?
ところが様相はただならないほど一変していて、空港も地下鉄も主要なエリアも、有り余る空白ばかりであった。
それはそれで寂しげで、それはそれで良しとしなければならない。
21時までという令和の禁酒令に倣って、早々に水炊きの名店へと急いだ。
歩くほどに古く錆びついた記憶が蘇る。
初めて訪れ、瑞々しい感動を覚えたのは10年ほど前の出来事であった。
「水炊き」という端麗な印象ながら、本場でしか実に味わい深い鍋。
確かに、もつ鍋という選択肢も可能性を秘めてはいたが、南西へ天翔けようと思い至った時、「水炊き」はある種絶対的な存在として君臨した。

著名人の色紙で埋め尽くされた壁は変わっていなかった。
2階に案内された。
おそらく10年前も2階に案内されたはずなのに、どこか印象が大きく異なっていた。
大ベテラン風の女性スタッフにそれとなく尋ねると、座敷席からテーブル席に改装したという。
道理で、と納得しながら生ビールと「水炊き」を速やかに頼んだ。
次第にテーブル席が埋まっていく中で、鶏肉の入った白濁スープとミンチが運ばれてきた。
だからといって、自らの手で何かをするに及ばない。
初動の沸騰に敏感に反応した女性スタッフが湯呑みに白濁スープと柚子胡椒を入れ、「召し上がってください」という掛け声とともに、黙して白濁のスープを啜り、崩れ落ちる鶏肉と熱量極まるつくねをポン酢につけて食するばかりだ。
と思っていると、野菜が運ばれてきた。
思いのままに投入し、その様子を伺いながら単調な食の行為を繰り返していると、ビールを飲むことを置き去りにしてしまった。
それでいいのだ、と自分に言い聞かせて食べ進めた。
不思議なもので、完食に近づくもありきたりな満腹感は水炊きでは得られない。
そこで、余った白濁スープで締めのおじやかちゃんぽんの選択肢が待ち受けている。
躊躇なくおじやと告げると、スタッフが丁寧におじや作りを始めた。
水炊き独自の出汁の染み込んだしっかりと染み込んだおじやは、最高潮の満足度をもたらす。
すると、彼方此方のテーブルから、地元博多弁や関西弁など、様々な訛り方が耳に入って来た。
このダイバーシティこそ、極東の小さな国の中での特徴と言えよう。
大がつくほどの満足とともに店を出た。
温暖な夕刻も過ぎ、夜の気配が街に漂い始めた。
令和の禁酒令の時刻は近づいている。
過去の記憶を辿るように次なる街中へと急いだ…

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