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【人生最期の食事を求めて】北国の老舗酒場に漂う夏の夕暮れの郷愁。
2023年8月21日(月)
やき鳥 金富士酒場(札幌市中央区)
世界的な気候沸騰化によって異常気象をまざまざと体感した2023年夏。
札幌においても例外ではなく、
十数年前の東京と同じような気温と湿度に覆われる日々が続いた。
何をするにおいても不快な汗が全身に滲み、
皆口々に辛そうな表情で「暑いですね」と連呼する。
街の其処此処でビル建設の騒音や外国人観光客の配慮のない大声が、
街の暑苦しさに油を注ぐような空気を放っていた。
夕刻であった。
夜に向かうに従って、北の繁華街すすきのも観光客の交錯は増してゆく。
こうも灼熱の日々が続くと、否応もなく夕涼みのビールを求めてしまう。
他方、ひとりジンギスカンにしても、ひとり海鮮にしても、
どの店も混雑が想定され、この炎天下ですすきの難民になるのはどうしても回避したい。
そこで思いついたのが「やき鳥 金富士酒場」だった。
すすきのの中心部に位置する古く寂れたビルの地下に降りていった。
階下に続く階段の頭上にはテナント名の入ったネオンが郷愁を漂わせ、
沈鬱とした暗がりと静穏が広がるばかりであった。
地下1階に降り立つと、目の前に開け放たれた扉の奥から賑やかな声音が薄暗がりの廊下に溢れていた。
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店内を覗く。
忙しなく動き回るスタッフたちが容易に混雑を訴えている。
髪を緑色に染めた女性スタッフが私の入店に気づき、
「おひとりですか?」と幾分声を張って愛嬌よく尋ねてきた。
ひとりであることを伝えると、
「カウンターのこの席か奥の席にどうぞ」
と導かれた。
カウンター席は、隣の席との隙間がすこぶる狭い。
奥のほうのカウンター席に座り、すぐさま「サッポロ生ビール」(510円)を伝えた。
右隣の席では、50代と思われる男性会社員が奥行きのないカウンター席にラップトップPCを広げ、ビールを飲み焼鳥をつまみながら作業している。
左隣では、スタッフへの対応からして常連と推測される40代後半と思われる男性が時折足を貧乏ゆすりしながら、店のテレビに釘付けになりながら日本酒をすすっていた。
背後には、入口から奥へと続くテーブル席が無造作に列を成して、談笑する客で占めていた。
この店はインバウンドを寄せつけないのか、それともまだ気づかれていないのか?
まずは「冷奴」(310円)が現れた。
大振りの絹豆腐と葱と鰹節に満遍なく醤油を垂らし、ビールを伴奏に食べ干してゆく。
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もう1店舗の「金富士酒場」はコロナ禍に閉店してしまったようだ。
2020年以来、街からは古い店が消え、その間隙を縫うように新しい店が次々と出現した。
コロナウイルスは、人間も店も古いものから駆逐したのではないだろうか?
不意に、「タン」(3本330円)が背後から置かれた。
その味わいは、北国ならではの塩加減の強さで咀嚼と飲酒を繰り返していると、
左隣の男性客の不規則に繰り返される貧乏ゆすりが左膝に微かに当たり続けた。
習慣というものは恐ろしいもので、
本人は無意識なのだろう。
他者の膝に当たってもまったく気にする様子はなかった。
気を取り直して「サッポロラガービール」(580円)を注文した。
生ビールとは異なる苦味と酸味が私自身を浄化するかのように駆け抜けていった。
そこに、「とり」(3本330円)と「ブタ」(3本330円)が一枚の皿に載って置かれた。
いずれも福々しい肉づきと強い塩気を纏ってビールを催促しているかのようだ。
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右隣の会社員はいつまでキーボードを打ちながら、時折ビールコップを口元に運び、咀嚼もしていないのにクチャクチャと音を立たせて食べるのが癖のようだ。
すると、両隣とも紙巻煙草に火を灯した。
紫煙の旋風が私の目の前で巻き起こり、どこへともなく消え去ってゆく。
喫煙できる店だけに、喫煙者にとっては極楽のような味わいに違いない。
すぐさま瓶ビールは空になってしまった。
どうにも飲み足りない想いに苛まれて「国盛にごり酒」(310円)を追加した。
しっかりと冷えたそれは、冷涼な外貌同様にすっきりとした飲み応えで私の内蔵はおろか精神までをも宥めすかせてくれるようだ。
にごり酒がすぐになくなると、両隣が巻き起こす紫煙を掻き消すように「デュワーハイボール」(390円)を頼んだ。
そこに、「ガツ」(3本310円)と「あげ焼き」(360円)が届いた。
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左隣の常連客が会計を済ませて立ち上がると、私の左膝は解放の余韻に浸った。
解放?
そうだ。
私は2022年春、自己解放を図るべく会社を退職した。
それは自己解放という意思だった。
自己解放とは……とガツやあげ焼きに箸を伸ばし、口元にハイボールを注ぎながら思った。
自己解放とは、安定の中の不自由を捨て不安定の中に自由を見出すことである。
他者の生き方こそ否定はしないものの、
デンマークの哲学者キェルケゴールさながら、
“永遠の単独者”として他者に乗じることなく、
私自身の中にこれからの生き方を模索したいだけなのだ。
今度は右隣の会社員が会計をして去っていった。
私はまさに単独者気分でハイボールを飲み干した。
するとまた両隣に新たな客が座った。
飲み足りない気分を抑えて会計を済ませた。
店を出るとビル自体から放たれる鬱屈した湿気が辺りを占領し、
外はすでに暗がりが広がっていた。
すすきののきらびやかなネオンサインとそこに集う群衆があればあるほど、
私は単独者という孤独と矜持を携え、しなやかに小気味よく歩いてゆこうと思った。……
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