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【人生最期の食事を求めて】究極、あるいは頂点、あるいは偏愛ピザ。

2023年6月13日(日)
「ピッツェリア ダ マッシモ(PIZZERIA DA MASSIMO)」(北海道札幌市白石区)

世界三大料理と言えば、中国・フランス・トルコを指すが、日本人にとって最も身近な西洋料理は、おそらくイタリア料理だろう。
その中でもピザは、コロナパンデミックのずっと以前から住宅のポストにもしばしば投込チラシが投函され、何気ない時に思わずピザを注文するという習慣が根づいている。
投込チラシに整然と並ぶラインナップは、深夜であろうと休日であろうと、不意に我々を誘惑しピザの迷宮へと誘うのだった。

日本におけるピザ文化は、おそらくこのようにして浸透していったのだろう。

そもそも、ピザの発祥はイタリアではなく古代エジプトに起源するという。
メソポタミア文明によって小麦と水を使用した食文化が発展し、次第に世界各地にまで広がり、16世紀のイタリアにおいて独自の進化を遂げた。
トマトやモッツァレラチーズを用いたことによって、ピザはイタリア料理として確立し今に至る、というのが有力のようだ。

そのピザ文化を転覆するかのようなピザ専門店を知ったのは、2023年の春が過ぎ去る日であった。

閉店してしまった店の朽ち果てた壁。
重苦しい雲から降り落ちる冷たい雨の雫。
そんな雰囲気と天候が、札幌都心部から離れた住宅地と工場とが入り乱れるそのエリアをどこか物悲しい寂寥感に包み込んでいた。

13時をとうに過ぎていた。
他の店と比べるとどことなく瀟洒で大人しい印象を放つ店のドアが少しだけ開け放たれていた。
そっと中を覗こうとすると、会社員風の若い男女が財布を片手に店を出てきた。
「すごくおいしかったね!」
という会話が私の耳元を風で靡くように駆け抜けていった。
私の中でピザへの期待が膨らんでいくのは当然だ。

ピッツェリア ダ マッシモ

カウンター席もテーブル席もほぼ埋まっているが、どうやらまもなく席が空くことは確実なようだ。
10分ほど待つと女性スタッフにカウンター席に最も奥に案内された。
目の前には炎が揺らぐ窯と寡黙にピザを練り、窯の前で作業するシェフの姿が映っていた。

メニューを見た。
ランチメニューがあるわけではなく、
「マルゲリータ」と「マリナーラ」の2択しかない。
飲み物においても有料のミネラルウォーターや炭酸水、ジンジャエール、ビールという選択肢で、コーヒーも扱っていない。
その点に、この店のピザに賭ける並々ならぬ想いが透けて見えるような気がした。

ともあれ、様子を窺うように「マリナーラ」(1,000円)とミネラルウォーターを注文した。

さっそくシェフは作業に入った。
その細身から繰り出される繊細で丹念な手作業を目前で見守ることのできる席は、なんと優越的なことであろう。
すぐさま窯に入れられたピザは妖艶な炎に包み込まれ、徐ろに変幻していく。
その様子を観察し、窯から取り出すタイミングを、もちろんシェフは見逃すはずもない。

寡黙にそして丹念に作業するシェフ
窯の熱がカウンター越しに伝わってくる

テーブルに置かれた皿の上で、それは憤怒の形相で燃え盛る溶岩のように眩しいほど鮮烈な朱を放っている。
私は一瞬凝視したままその全貌を見守った。
この店のマリナーラは、トマトソースとニンニク以外の何物も見出すことのできない究極の簡素な構成によって成立し、それ以外を受け付けないのだ。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチは言った。
“シンプルさは究極の洗練である。”

素材自体の旨味を引き出すために、まさに究極の洗練にまで行き着いた結果であろう。
ひたすら唸りながら食べていると、目の前の厨房からシェフが身を乗り出すかように話かけてきた。

「うちは、オリーブオイルを使わないんですよ」
それはどういうことを意味するのだろうか?
私が不思議がるのを即座に打ち消すようにシェフは続けて言った。
「オリーブオイルを使うと素材自体の味がしなくなってしまうんで、サラダオイルを使っているんです」
テーブルの上にタバスコも置かれていない理由は、シェフの目指すピザの理想の追求だったのだ。

なるほど、焼き焦げた小麦の生地、トマトソースの酸味、ニンニクの風味が三位一体となって一つの調和を形作り、これまでに食べたことのない味に辿り着いた、そんな想いに駆られるのだった。

マリナーラ

矢継ぎ早にピザは口の中で消えてゆく。
そうなると「マルゲリータ」(1,200円)は必然的な追加注文である。

シェフは汗を拭いながら同じ所作を繰り返し、再び皿が目の前に置かれた。
今度は、トマトソースとチーズとバジルという三位一体の登場に心踊った。
蛋白な生地の旨味を引き出すかのように、鼻孔を仄かにたゆたうチーズのふくよかな香りと相俟って、トマトソースの華やかな風味が追随する。

このピザ体験は、初めてにして格別としか言いようがなかった。
しかも、まったく飽きることを知らないのだ。

マルゲリータ

食べ終わろうとすると、目の前でシェフが再びピザへの想いを語り始めた。
イタリアでの修行経験、ピザ生地を冷凍保存せずにあえて数日間かけて発酵させることによって旨味を引き出す手間、簡素化することによって誰も真似できない味への執念。

その技術や想いは、単にこだわりという領域を越えている。
それは、まさしくピザへの偏愛とでも言えようか?
最後に彼は静かにこう語った。
「日本一のピザを目指しています」

その穏やかな口調の中に、窯の中の火焔のように静かに燃え上がっているように、私には見えたのだった……

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