見出し画像

【人生最期の食事を求めて】海鮮王国が放つ早朝の贅。

2023年10月7日(土)
いきいき亭近江町店(石川県金沢市)

【人生最期の食事を求めて】海鮮王国が放つ早朝の贅。

カーテンの隙間から朝日の兆しがそれとなく溢れていた。
午前5時。
まだ起き上がるには早すぎるが、無理をして眠ることを拒み、
カーテンを開け放ち、日本海側の空に蠢く雲を切り裂くように昇る朝日をしばらく眺めた。
空と雲。
私の頭上に広がる空は無限に拡張しそこに夢想を乗せれば、私の精神は世界の未知の領域にまで足を踏み入れることができるのだ。
空の変容を眺め続けるのは、幼い頃からの習慣といえる。
否、習慣というよりもむしろ癖のようなもので、気がつくと無意識裡に眺めては観察し、その変貌ぶりや流れ去る末を夢想するのがやけに楽しかった。
習慣を超えた癖というものは恐ろしいもので、社会人となりそれなりに多忙になっても、気がつくと空を眺めるひとときを求めていた。

6時30分だった。
少し早めに身支度をしてホテルをチェックアウトして外に出た。
10月だというのに外はさほど寒く感じられない。
歩く人も車の往来も少ない。

私の目的は、近江町市場の一角にある「いきいき亭」に収斂していた。
仄暗い近江町市場の魚臭を放つ小径を抜けてその店に辿りついたのは6時40分頃だった。
まだ行列はできていない。
すぐに注文用紙を手に取り、「いきいき亭丼」と書き記し、扉のガラスに貼り付けるというこの店ならではのルールに則って、あとは7時の営業開始を待ち侘びるばかりだった。

いきいき亭近江町店

まだ暗い近江町市場は少しずつ朝が動き出している。
その様子を横目にしながら店の前で立ち尽くしていると、店の中から女性スタッフが現れて注文用紙の確認をして再び店の中に入っていった。

7時に合わせて軒の照明が灯り、扉が開いた。
一番乗りだった私の名前を女性スタッフが呼び、10席ほどしかない店内の左奥の席へと誘導した。
注文用紙にすでに希望メニューを記入しているのだが、「いきいき亭丼」にはワールドとローカルという選択まで記入をしていなかった。
あらためて「ワールド」(3,300円)を欲すると、刻み海苔、そしてオプションとしてかんぴょうと生姜をオーダーした。さらに大中小から選べるしゃりの量は中にとどまった。

威勢の良いスタッフ、活気溢れる店内。
そこに次々と客が導かれる。
それぞれのオーダーに応じて手際よく、記念撮影のサービスを愛想よく対応する姿はなんと清々しいものだろう。

カウンター越しの頭上から突如として大きな器が現れた。
とりもなおさずいきいき亭丼のワールドだった。
それは一見不思議な外貌だった。
大皿に多種多彩に盛られた鮮魚の数々。
その大皿の下に丼が置かれた二重構造になっている。
シャリの上にネタが盛られる状態も悪くはない。
だが、ネタとシャリの分離構造はひとつひとつのネタを堪能するにはふさわしいスタイルではあるまいか。

いきいき亭丼ワールド

思いのままに食べ進めるが筋かもしれないが、四方八方からではなく時計回りで攻めることに決めた。
出会い頭にがすえびに私の揺れ惑う食欲は吸い寄せられた。さらにとろに箸を伸ばすとシャリを中にしたことに寸分の後悔を覚え始めた。
『この先、シャリとネタのバランスをどう配分していくべきか?』
その外貌を裏切らない実相に、私の心は揺れ動いた。
その中でもいっそう私を惑わせたのは、北陸の象徴としてののどぐろの揺るぎない存在だった。
前回、この店でオプションとして注文したどぐろの握りは確たる美味を主張して忘却そのものを否定したのだ。
岩塩をのどぐろに振りかけて、私は再びのどぐろと対峙した。
その仄かな苦味と全身から滲み出る脂の旨味が溶け合い、幾ばくかの幸福感を運んでくるのだ。
いか、あじといったネタすらもそれは同質だ。
幸福感とは畢竟するに日常の中の断片に潜んでいるものだが、快楽と不可分な関係であることは間違いない。
瞬く間にネタもシャリもなくなってゆく。
最後のひとくちをのどぐろに託した。
それは残り少ない金沢のひとときの締め括りをも意味した。

敬愛する詩人であり思想家のヘンリー・デイヴィッド・ソローは言った。
「人は自分自身の幸せの考案者である」

ヘンリー・D・ソロー

朝食としては破格だった。
普段朝食を食べる習慣のない私にとっては尊いほどの贅沢である。
それでも、この幸福感はかけがえのないものとしか言いようがない。

私は幸福感の余韻と現実の飛来の中で揺れ動きながら濃いめのアガリを飲み干し、行越の耐えない店先を抜け出した。
すると雲のない澄んだ朝空が広がっていた……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?