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【人生最期の食事を求めて】解放と洗練が演出された空間での一抹の後悔。

2024年4月20日(土)
木倉町さんぼ(石川県金沢市木倉町)

夕闇が迫っていた。
騒々しくなる前に片町から脱しようと、昨夜と同様に木倉町に向かった。

街の喧騒は突如として消え、安寧とした空気が静々と流れていた。
300年以上の歴史を持つ街も、木材蔵から多彩な顔を持つ商店街へと変貌したという木倉町は、そこはかとなく懐かしさを覚える町である。

ひとつ、またひとつネオンに灯が点り始める。
振り返ってみると金沢に訪れた時は無意識のうちに必ずと言ってよいほど木倉町を訪れているのだが、それはきっとこの街が放つ独特の魅力にほかならない。
居酒屋、小料理、焼鳥、バーなど、小さな店が其処此処に点在し、ネオンや暖簾や店構えを見ているだけでも散策の楽しさを深まるばかりだった。

ともあれ、土曜日も18時を過ぎると辺りは人の気配が増すばかりだった。
空腹ではなかった。
が、どこかこのままでは収まりがつかない心理が働いたがゆえに、暖簾のデザインや外から感じ取る外観といった直感力だけを頼りに、見知らぬ店に身を投じてみたものの、案の定ことごとく満席という返答を以て退散するほかなかった。

木倉町さんぼ

また小洒落た暖簾を見つけた。
ロゴや暖簾のデザインからしてまだ新しい店のように思われる。
細長い通路を入っていくとすでに満席の影が眼前に広がってきた。
「申し訳ございません、満席でして……」
ダウンライトを浴びた女性スタッフの表情が悲しげに映し出されていた。
私の中である種爽快とも言える諦念が目覚め、すぐさま店を出て再びあてもなく歩き続けると背後から走ってくる足音が近づいてきた。
「今ちょうどほかのお客様がお帰りなのでご案内できます!」
先程までダウンライトを浴びた女性スタッフが幾分息を弾ませながらそう言った。
その対応に私は小さな喜びを抱きながら、彼女のか細い背中に着いて行った。

店内に入るや、厨房とカウンター席が一体となっているかのような解放感に眼を奪われた。
厨房に立つスタッフはそれぞれの調理に勤しみ、ほぼ満席の席は男女の客で賑わっている。
と言っても、どこか不思議な静謐さを宿していて騒々しさを感じない。
一方、先程食べたおでんや肉や魚料理の余韻が私の中で漂っていた。
ひとまずビールを注文し、私の腹の余力を確かめることにした。

それにしても、厨房全体を見渡せるカウンター席は実に心地が良い。
他の客が何を注文し何を食べているかを見定めることができるし、各スタッフが何をどのように調理しているかも一目瞭然だからだ。
よほど腕に自信がなければこの解放感の演出は不可能だろう。
しかも各スタッフは客の一挙手一投足をさりげなく確認し、飲み物がなくなりそうになれば先回りして押し付けがましくないように注文を促す、といった気遣いも客と店の無言の信頼関係を構築する一助となる。

自家製山菜昆布〆(700円)
寿司屋の玉子焼(500円)

そんなことを考えていると、食事を注文していないことが僅かばかりの罪悪感を導いた。
メニューの中のあてに目が止まり、「自家製山菜昆布〆」(700円)を頼むことにした。
他の客はコース料理を注文しているらしく、どことなく豪華で上品なランナップがテーブルに置かれてゆく。
しかし、なにぶん空腹が襲って来ることはなく、もはや肉や魚のような主菜に手が届きそうにない。
薄味ながら出汁の効いた山菜をつまみながら、この店でも芋焼酎「大隅」(600円)のロックとともに「寿司屋の玉子焼」(500円)、「加賀れんこんチップ」(550円)を求めた。
さすが寿司王国である。
単なる玉子焼ではなく“寿司屋の”という冠をつけることによって差別化を図っているのだろう。
これも確かに薄味で上品な風味と舌触りに焼酎が見る見るとなくなってしまう。
追加した芋焼酎ロックとともに「能登塩ミルクカタラーナ」(600円)で仕上げることにした。
濃厚な粘着質の生地の中に能登塩がさりげない演出を施し、意外にも芋焼酎に適した。

加賀れんこんチップ(550円)
能登塩ミルクカタラーナ(600円)

芋焼酎を飲み切り店を後にしたものの、どこか自責の念のようなものが私によぎった。
それは、この店に不時着したのは幸運としか言いようがないにもかかわらず、満腹感が消え去らず主菜も楽しめぬまま退店することへの後悔だった。

この課題は次回の金沢訪問でクリアすることを誓いながら、街灯を浴びてきらめく鞍月用水のせせらぎに耳を傾けるのだった。……


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