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【人生最期の食事を求めて】無表情、無為、そして無感動の朝。

2024年4月21日(日)
カンパーニュ クチーナ&バール(石川県金沢市木ノ新保町)

スペインが生んだ偉大なチェリストであるパブロ・カザルスは、彼が敬愛したバッハの「プレリュード(前奏曲)」と「フーガ」の2曲を、80年以上にも渡り毎朝の日課として演奏してきたことは有名な逸話である。
その絶え間ない探求と研究と鍛錬の日々は、チェロの聖書とも呼ばれる「無伴奏チェロ組曲」に結実した。
10代の頃に買い求め貪るようにして聴き込んだヨーヨー・マの流麗さはないものの、むしろ荒削りという印象は忘れがたいものがある。

パブロ・カザルス(1876〜1973)

日課、あるいはルーティンというものは、人を正し整える。
ところが旅というものはそのルーティンを停止させ、そして立ち止まらせ、時に非日常の選択をすることもある。

威風堂々と佇む鼓門、朝の空に響く車の通過音、駅前東口を彩る噴水のきらめき、欧米系の観光客が集う駅前広場、……新幹線の延伸で、そのざわめきは日曜日の金沢駅全体を包み込んでいた。

鼓門

私はといえば、日課にない朝食を求め金沢駅直結の「金沢百番街あんと西」を巡ることにした。
おみやげショップが犇めく中で、寿司やおでんといった金沢名物もちらついたがまだ開店前の時刻だった。
見慣れたベーカリーショップや牛丼チェーン店もすでに多くの客が席を競っていて、当然回避することにした。
その中央で、解放感がありどこか垢抜けた雰囲気のショップに出くわした。
「CAMPAGNE cucina & bar」というイタリア語表記の店だった。
「CAMPAGNE」とは「田園」を意味するが、それがどんな意図で用いられたかは不明だ。
ちょうどモーニングタイムだが、通路からは見受けられる店内の様子からして空席が確認できた。

カンパーニュ クチーナ&バール

入口正面に向かうと、東南アジア風の2人の女性客が待っておりその前にも客が待っていた。
どうやら勝手に入場してはならないようだ。
私は東南アジアの女性客の後に付して待つことにした。
すると、私の背後に大きな体躯のスーツ姿の男性客が付いた。
しかしながら、空席は確かに存在するのに一向に前進しない。
およそ5分後だろうか、私の背後に大きな体躯のスーツ姿の男性客は諦めて牛丼チェーン店に足を向けた。
私も一瞬の躊躇と諦念を抱きつつも、牛丼チェーン店だけは避けたいという想いがその場に留まらせた。

「次のお客様、奥の席へどうぞ」
若い女性スタッフの無表情で無機質な案内に導かれ、私は通路に面した席を確保したのだが、その列はすべて空席だった。
水を置きにきた別の女性スタッフも無表情で無機質な表情である。
皆が皆、まさに“浮かない顔”をしているのは何故だろう?
すぐさま後悔の念が私の中で漣立ち、今なら店を変えることもできると思っても見慣れたベーカリーショップや牛丼チェーン店がすぐさまそれを打ち消した。
『所詮は朝食に過ぎないんだ。食べたらすぐに出ていけばいい』と自分に言い聞かせながら、ミニサラダとヨーグルト、そしてドリンクのセットである「能登牛のピザトーストモーニング」(1,200円)を選んだ。
不勉強ゆえに能登牛という存在は、この時初めて知った。
旅の締めくくりにふさわしい選択に、女性スタッフたちの無表情と無機質は些末な印象として薄らいでいった。

能登牛のピザトーストモーニング(1,200円)

先にコーヒーがやってきた。
すぐさまモーニングセットが訪れるだろうと思いきや、それはなかなかやって来ない。
コーヒーを飲み干してしまうことを我慢していると、ようやくそれは訪れた。
まずはサラダを食しながら、ピザトーストを眺めた。
チーズの隙間や底に垣間見ることができるのは能登牛の挽き肉に違いない。
サラダを食べ干し、トーストを慎重に手にしてひと口噛みしだくが、私には能登牛の何たるかが理解できなかった。

とどのつまり、ピザトーストならば能登牛であろうと何の牛であろうと、味の明確な違いなど理解できるはずがないのではないか?
トーストの残骸やチーズの破片が虚しそうにプレートに崩れ落ちていった。
続けざまに2枚目のピザトーストを頬張った。
崩れ落ちる残骸や破片は1枚目と同様だった。
それ以外にこれといった差異は感じられなかった。

ヨーグルトを食べ終え、熱の消えたコーヒーを飲み干すとそそくさと会計に向かった。
また別の女性スタッフがレジに立ち、会計を済ませた。
私の眼には、女性スタッフは皆一様に能楽のシテのように、誰もが表情を隠すために能面を被っているように見えて仕方なかった。

果たして、旅の締めくくりとしてこれで良いのだろうか?
金沢駅の中央通路を歩きながら、私は自問自答を繰り返すばかりだった。
ふと見上げると、兼六園口にあるもてなしドームの幾何学模様のガラス天井に春の弱日が差し込んでいた。
雨や雪が多い気候ゆえに、『駅を降りた人に傘を差し出すおもてなしの心』をコンセプトとして造られたという。
出発の時刻のまでの間、私は失った何かを求めるように金沢駅周辺をさまよい続けるのだった。……

おもてなしドーム


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