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【人生最期の食事を求めて】大阪欧風カレーの欠落した味の余韻。

2023年8月29日(火)
ダイヤモンドカリー大阪国際空港店(大阪府豊中市蛍池西町)

窓辺には澄み渡る朝の透明度の高い空が広がっていた。
窓際に近づくと、すでに熱湯を浴びたかのような灼熱を放っている。
朝から30度を超え酷暑の予感を孕ませてはいるものの、
いざ大阪を離れるとなるとそれもどこか寂しいものだ。

ホテルをチェックアウトし、大阪メトロ「肥後橋」駅に続く地下通路を下ると、
忙しなさそうな空気感が支配していた。
9時過ぎの通勤ラッシュであることに今更ながらに気づいたのだ。

振り返ると、私は幸運なことに会社員時代において通勤ラッシュを経験したことがない。
もとより、あの激烈極まる通勤電車に乗る日常というものを想像するだけで自分の人生の何かを犠牲にし、何かを失っている気分に襲われてしまうのだった。

大都市圏のラッシュは当然の光景とはいえ、当然のように笑みなどなく、地下街に響き渡る軍隊の乱れた序列と行軍が撒き散らす靴音の反響、まだシャッターが降ろされたままの地下街の殺伐と雑然とが絡み合う空気感は、やはりどことなく不気味さを滲ませていた。

朝まで抱いていた大阪を離れることへの寂寥感は次第に薄まる中で、バックパックを背負う私の背中からはTシャツ伝いに幾条かの汗が滴り落ちるのを感じ取った。

大阪国際空港と関西国際空港に向かうリムジンバス乗り場には、カラフルな服を着た異国人の姿ばかりだった。
関西国際空港行きのバスが出発すると、辺りは急に静穏とした。
しばらくしてから大阪国際空港行きのバスに乗り込み、梅田を離れていった。

坊主頭の高校生と思われるいくつかの集団が空港の出発ロビーに見受けられた。
私は足早にレストランフロアに向かい、混雑極まる昼前に昼食を済ませようと意を決していたのだが、まだ10時過ぎとあって営業を開始している店は少ない。

そこで見出したのは「ダイヤモンドカリー」だった。
外から見る限りまだ混雑していない。
ともあれ入店して昼食を済ませよう。
デジタル対応の券売機の前で立ち止まり、「ジューシーカツカレー」(1,080円)に標準を合わせた。
「お好きな席にお座りください」
若いわりには覇気のない女性スタッフの声が、すでに通路沿いの席に座りかけている私の背中に降り掛かった。

ダイヤモンドカリー大阪国際空港店

程なくして現れたそれは、外にある看板の写真と似ているとはいえ、どことなく寂しげに見えた。
ともあれ、その外貌よりも味が肝心だと自らに言い聞かせながらスプーンを投じた。

外の看板の説明では、ダイヤモンドカリーは1964年(昭和39年)に梅田で誕生し、「大阪地下街カレー」として親しまれてきた手作り欧風カレーのレシピをルーツとある。
「和牛の旨味」が溶け込んだ欧風カレースタイルなのだが、私の中では衝撃は乏しい。
眼の前にある「辛みスパイス」を振りかけて食し、また振りかけて食しても、どうにもコクへの到達は著しく遠い。
この国で暮らしていれば、少なからず欧風系やインドを代表するアジア系等、多様なジャンルのカレーと向き合ってきた人々が大半だろう。
だが、これまでのカレー体験を通じて欠落した何かを感じてしまう。
欠落した何か?
その答えに窮したままカツにフォークを伸ばした。
確かに揚げたてに違いないが、ジューシーな揚げ油は感じ取っても肉の豚肉のそれも欠落しているようにしか思えない。
呆気なく食べ終わるとすぐさま店を出てチェックインカウンターに向かった。

ジューシーカツカレー(1,080円)

空港ラウンジに腰を落ち着け、コーヒーを飲みながら欠落した何かをあらためて振り返った。
伝統や愛着のあるご当地カレーは全国津々浦々に存在する。
そして家庭においても、それぞれの好みに応じた手作りカレーというも存在することは、カレーはもちろんあらゆる料理を一切して拒否して作ってことのない私に理解はできているのだが、欠落した何か、あえて言えば真にカレーなるものという本質すらも理解していないということだ。

エトムント・フッサール(1859〜1938)

現象学の祖エトムント・フッサールはこう言った。
「自己の内面において自己を発見することは、すべての哲学の出発点である。」

欠落した何か?
それはカレーではなく、私に欠落した何かではなかろうか?
そこはかとなく浮かぶ雲の断片を茫然と眺めながら、思考の中で欠落した何かを巡らせるのだった。……

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