見出し画像

【人生最期の食事を求めて】濡れた肌に激痺が走る横浜四川麻婆。

2024年6月21日(金)
景徳鎮(神奈川県横浜市中区)

横浜を濡らす6月の雨。
時に激しく、時に強く街を光らせていた。
予定していた計画はこの雨で頓挫したが、それはそれとしてよくあることだ。

雨の日はピアノ曲が似合う。
ベートーヴェンのピアノソナタにしようか?
それともショパンか?
音楽配信サービスから選んだのは坂本龍一のピアノソロ曲だった。
イエローマジックオーケストラ(YMO)でその名を轟かせた頃、私はあのデジタライズされた無機質な音、血の気のないシンセサイザー音への嫌悪感から耳を塞いだ。
そして月日が経ち、坂本龍一のピアノコンサートで拝聴したその甘美で脆い旋律に魅了された。
雨の日のほんのちょっとしたきっかけは、坂本龍一のピアノソロ曲を呼び覚ましたのだ。
とりわけ盟友ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「シェリタリング・スカイ」のサウンドトラックは、私にとっては名作を超越した作品である。
雨の雫のようにピアノが奏でる静謐を破る音色、抑制の効いた激情と哀切の香り、序破急を想起させる転調。
その劇的性を表現するピアノアレンジの演奏に幾度となく聴き入っているうちに靴は雨水で濡れ、不快さのあまり関内のコーヒーチェーンで仕事を兼ねて雨宿りした。
ところが、若い女性客ふたりが雨音に劣らぬ弾けた声で語り合い、隣の会社員風の女性客はどれだけの文字数を入力するのかと思ってしまうほどPCのキーボードを乱打し続けていた。
長居は無用だった。

12時30分が近づいていた。
私の足は俄に中華街に向かった。
乾きかけた靴も再び濡れてしまったが、ここまで来たら中華街しかない。

横浜関帝廟
雨に濡れる横浜中華街

ニューヨーク、バンクーバー、バンコク、神戸、長崎……これまでに訪れた中華街の中でも、横浜のそれは世界最大であり思い出深い。
豪雨のおかげで入り組んだ路には人の気配は少なく店も混雑していないのだが、雨の雫が腕や足先から体温を奪ってゆくようだ。
私の脳裡によぎったのは、四川料理だった。
しかも、麻婆が繰り出す汗の迸るような痺れを。

景徳鎮

路地を次々と抜けて辿り着いたその店は、私が想定していた以上に混雑していた。
店内をそぞろ歩く女性スタッフが私を見るや、テーブル席を拭いて案内した。
テーブル上に置かれたランチメニューを見下ろし、迷うことなくスペシャルメニューの「四川風麻婆豆腐掛け御飯」(1,200円)に視線を注いた。
満席の店内には、会社員や観光で訪れた客の姿で埋め尽くされ、皆思い思いに四川中華を堪能している。
先にスープとピリ辛ザーサイのお新香が置かれ期待を高めた。
追ってやってきた四川風麻婆豆腐掛け御飯は、鮮烈な朱色の豆板醤に塗れた茶色の挽き肉、白濁の豆腐と白皙のライスという対比に彩られている。
私が手にした蓮華は、右の中央部分から二分するようにそれらを掬い取った。

四川風麻婆豆腐掛け御飯(1,200円)

ひとくち食べるや否や、鋭利な辛味と痺れが私の体内を駆け抜けてゆく。
まさに四川の麻婆に違いない。
すると、隣の席で私と同じメニューを注文していた若者が、
「やばっ! うまっ!」
「まじっ! からっ!」
を連発していた。
一瞥すると男性2人、女性2人の客でその屈託のない話し方や筒抜けの会話からして学生のようだ。
「やばっ! うまっ!」
「まじっ! からっ!」
の度重なるリフレインが私にはやけに気になってしまった。
それは、語彙の貧困化なのか?
それとも、表現の極少化なのか?
仮に彼らの言葉を文章化するとすれば、“四川料理の本領に迫る旨辛痺れである”と言えようか?
私の耳に否応もなく入ってくる若者たちの会話を遮断するために、いったんスープとお新香、そして水に手を伸ばした。
このままでは目の前にある四川麻婆に集中できない。
この確たる辛さ、その奥に潜んで体内に入った途端に逆流してくる痺れに、心ゆくまで耽溺しなければならない。
完食に至ると、それを待っていたようにデザートの杏仁豆腐が置かれた。
四川麻婆に集中していたほんの束の間、気を逸らしていた隣の若者たちが気になり、さりげなく見ると、
「やばっ! うまっ!」
「まじっ! からっ!」
の連発が消え失せていた。
あまりの痺れに男性客の握る蓮華が止まっていたのだ。
口内の痺れが杏仁豆腐によって和らぐのを感じながら、四川の痺れを苦もなく完食した達成感のようなもの、若者にはまだ理解できまいといった奇妙な優越感のような、得体の知れない感情が沸き起こった。
そんな感情などどうだっていいではないか、ともうひとりの私が静かに制した。
くだらない、と思わず自分に言い聞かせるように口走りそうなると私はレジへと急いだ。

雨はとどまることを知らなかった。
地下鉄駅へと潜った。
雨に濡れた不快な足が床を擦ってゴムの音を奏でた。
それはYMOがかつて表現した正確な電子音のように、私の耳元に迫るのだった。……


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?